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「ウツクシ森」の謎 |
| 美しい森ではないそうだ・・・・ |
| ■山の本のロングセラ−「車窓の山旅・中央線から見える山」の中で、著者山村正光さんは以下のように書かれております。 |
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美し森というロマンチックな名は、「甲斐国志」には「宇都久志森、八ケ岳ノ麓念場ノ原ニ在ル小山ナリ(中略)小者ヲ宇都久志ト云ハ方言ナリ美麗ノ義ニアラズ」とある。「地名語源辞典」(校倉書房刊)では「宇都」とはケモノの通い道、「久志」とは越すの古語のあて字、小丘を意味する地形語とある。森というのは山のことだから、「ケモノの行き交う小山」という意になろうか。だから、決して、美しの森、美森山、美ケ森ではない。あくまでうつくし森である。 では、どんなケモノの通い道であっただろうか。(中略)八ケ岳の東麓、南牧村、八千穂村から始まり、シンシュウゾウ、アケボノゾウ、トロゴンテリゾウ、ナウマンゾウの化石が、千曲川に沿って発見されているのだ。(中略)そして富沢恒雄理博は次のように類推している。「ゾウたちは二十頭から三十頭、群れをなし南関東から甲府へ、さらにフォッサマグナの東縁、千曲川に沿い、今で言うなら甲州街道から北国街道に沿って、信州の北部までやって来たようです。ゾウは私達人間の古道の開拓者であったといえるでしょう」と。 今から80万年から5万年も前、八ケ岳のふもとを、ゆうゆうと群れをなして北上する巨象の姿がまぶたに浮かぶ。そのころは、八ケ岳は噴火していたのだろうか。 |
| ■と、ロマンあふれる筆致でしめています。それにしてもウツクシモリが「美麗ノ義ニアラズ」「ケモノの行き交う小山」のことだったとは、よほどの言語学者でなければ解読不能です。なかなか勉強になりました。 |
| ■アイヌ語との関係 |
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さて、我々山梨側の住人から見るとビ−ナスラインの西の果てになるが、「美ケ原」という高原がある。これは「ウツクシガハラ」とそのまま読む。「美ケ森」と書かれた文字はきっとこの「美ケ原」からの連想で(或いは勘違いで)そう書いてしまったのだと解するのが正解だろう・・・。 山村さんは「久志」とは越すの古語、と書いておられるが、「古語」とは一体いつ誰がしゃべっていた言葉だろうか・・・。 私の本棚に百瀬信夫さんという方が書かれた「信州のアイヌコタン」という本がある。信州の歴史や文化を古代朝鮮或いはアイヌとの関わり合いから解き明かしていこうという、気宇壮大な内容で、ふんだんに写真を使ったわりと立派な本である。さっそく開いてみると・・・。 ここに「美ケ原」をアイヌ語で読み取る試みがなされている。それによると美ケ原とは「ウツルチクシバラ」と発音するそうである。その直訳は「その間をいつも越す広々としたところ」だそうでである。 ここでも「クシ」とは「通行する、(何々の)向こう側、越す」と説明されていて、山村さんの説明と合致している。「バラ」は原で広い平らなところ。「ウツル」は間、チは我々又は継続の意、とある。 八ケ岳からは「黒曜石」が全国に運ばれている。「美し森」も「美ケ原」も、ケモノだけでなく様々な物資や情報が運ばれるル−トであったことは容易に想像できよう。そしてそのル−ト上に幾つものアイヌ語地名が残されたのである。 そんな説明を百瀬さんはしている。 |
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■いや〜、ナウマンゾウの次は黒曜石ですよ(^_^)v 実にロマンを感じます。今度あの辺をハイキングするときはそんなようなことも想像しながら歩けば、楽しさ倍増間違いナシです。 それにしても美し森は清里がまだ今のように賑わう遥か数万年前から人や動物が行き来して、賑やかだったのですね。彼らの踏み跡が古道になり街道になり、今の県道や登山ル−トになっていったなどと考えることは楽しいことです。そういえば美し森周辺は日本の背骨つまり分水嶺が走っています。秩父から信州峠を経て飯盛山、佐久往還を横切ってJR野辺山最高地点へ、さらには赤岳へ向かう県界尾根へと続いています。 日本の端から端まで途切れないこの道は動物達の移動や黒曜石を持って交易をする遥かな遠き旅人達にとっては便利な道であったことでしょう。「ケモノの行き交う小山」と名づけられたのも無理はありません。美し森から眺める山々の展望は眼前に八ヶ岳の主峰、遠景に南アルプス、眼下に秩父や佐久の山々、そして富士山。まさに感動ものの光景だ。当時の遥かなる旅人達もきっと同じ光景をみたのだろうなぁ・・としばし感慨にふけっていると、もしかしたら「同じ光景」ではなかったかも、という次の謎が・・。 |