| 「いつきの森」の謎 |
| もうひとつの「美し森」説浮上・・・そして富士山はその昔?? |
| ■大泉村教育委員会発行「おおいずみむら文化財地図」に下記の話しがあります。 |
| 1)富士山と八ヶ岳 |
| 八ヶ岳は昔、今の富士山より高かったという。 ある時、富士山の女神と八ヶ岳の男神とが、高さの争いを始めた。 「私の方が高い」と男神の八ヶ岳はゆずらないが、「いいえ私の方が高い」と富士の女神もなかなか負けてはいなかった。 そこで両方の神は「致し方ない、とにかく阿弥陀如来さまに仲裁を頼もう」ということになった。 如来さまもこの仲裁には閉口して「それは困った事だ、よし、水は正直だから水で決めよう。 わしはお前さんたちの頭から頭へ樋をかけて水を流し込むことにする。低い方へ水は流れるからな」と如来さまは苦心の末、八ヶ岳の頂上から富士山の頂上に樋をかけた。 やがて水を流し込むとそれは富士山の頂上へ流れ落ちた。 如来さまは「争いをするな、女神、おまえの方が低い」と言った。 如来さまの宣言で、富士山は負けたが、女でこそあれ気の強い女神は負けたくやしさから、八ヶ岳の頭を長い太い棒でたたいた。 すると頭が八つに割れ、現在の権現、編笠、旭岳、西岳、阿弥陀、赤岳などの峯ができたといい伝えられている。 |
| http://www.shokokai-yamanashi.or.jp/~yume21/history/tale/cf_den4.html |
| 2)美し森の由来 |
| 大昔、八ヶ岳と富士山が背丈の競争をして、八ヶ岳の頭が折れて泣いていた時、鞍馬から大天狗が来てそのわけをたずねた。八ヶ岳の話に深く同情した大天狗は、小天狗に申しつけ赤岳山頂に社を建て、折れた頭を南東の山腹に置き、心やさしい姫に斎祭らせた。また瑞穂の国(日本列島)の神々が年に一度ここに集まってまつりごとの相談する斎の庭として使われたことから、この場所を「斎し森」と言った。のちにこの言葉がなまって「美し森」とよばれるようになった |
| http://www.shokokai-yamanashi.or.jp/~yume21/history/tale/tale_411.html#top |
|
1)と2)二つ続けて読んでいただけましたか? いつきまいらせる、いつきのにわ、などとちょっと難しい漢字が出てきましたが、これらが「いつくしもり」 =「美し森」に変化していったのだ、という説であります。 しかしなかなか上の2つの話しはよく出来ています。ちょっと私なりに解釈してみました。 1)で樋に流した水は富士山に流れていったため、八ヶ岳が勝ち誇るわけですが、実際八ヶ岳が地質学的に活動を始めたのは約140万年前。20万年前には約3200米の火山として成立していました。 その頃の富士山はといえば、まだまだ標高2300米の小山でした。したがって、このころ背比べをしたとすれば、確かに八ヶ岳の方が高かったのです。 富士の小山が本格的に噴火をはじめたのが2万5千年前から1万5千年前で、富士山はやっとその頃今の富士山の姿になりました。一方八ヶ岳も3万年前位までは盛んに噴火を繰り返していたといいます。 そして、今から3万年前ほどの旧石器人類達は、八ヶ岳で黒曜石を手にしました。石器の文化が急に進んだ時代です。2万2千年前には日本各地の「石材交換ネットワ−ク」は成立していたという学者もいます。そして1万年前には八ヶ岳の縄文時代が華々しく展開していきます。 つまり、八ヶ岳の旧石器人たちは、実際に八ヶ岳と富士山の背比べ(火山噴火と山容の成長)を見ていたのです。 言い伝えや神話として残る話は人類の細胞に宿る記憶だといいますが、背比べの話しはまさに私達の祖先の目撃談であったといえるでしょう。 遥かな遠き旅人達が美し森から眺めた光景は、今と少し違って、言い伝えのように富士山が少し低かった(時代もあった)のです。現代の地質学が、言い伝えは本当だったと解明して くれたのです。 2)で語られている事柄も地元の私達には感心させられる話しです。第一に、話しの中に出てくる、大天狗、小天狗、という場所が今もあります。 「こころやさしい姫」というのが出てきますが、それは天女に他ならず、「天女山」という山がすぐ近くにあります。又、天女が羽衣を洗ったという「羽衣の池」というのも美し森の上に実在します。ついでに 天女さまが降り立ったという「天の河原」という場所もあります。 さらに、仲裁に入ったのが阿弥陀如来さまということですが、なんと八ヶ岳の主峰赤岳に寄り添うようにして「阿弥陀岳」という山があります。 八ヶ岳の各地に残る地名を読み解くと、先人達が連綿として古代の人たちの思いを伝え続けた足跡がわるような気がして、胸が熱くなります。 「美し森」という地名をきっかけに考察が始まったのですが、ますます八ヶ岳の謎と八ヶ岳への思いが深まりました。 次は>神々が年に一度ここに集まってまつりごとの相談する斎の庭として使われたという箇所を調査してみたいと思います。つまり、このような土地は11月を「神無月」に対して「神有月」とよぶ習わしがあるはずですから、果たして八ヶ岳のどこかの地方にそういう習俗の村があるかどうか・・・。 いや〜、DEEPだなぁ・・八ヶ岳は・・・。 |
| 参考資料1 遠き狩人たちの八ヶ岳/堤隆著 |
| 参考資料2 八ヶ岳火山/八ヶ岳団体研究グル−プ編著 |
| 参考資料3 富士山はなぜフジサンか/谷有二著 |
| 全ての文責 多賀純夫 |