〜わが町ウォ−ク〜
徳島堰と将棋頭 4月22日(火)

■まずはお勉強

1)徳島堰ってなんだろう?

日本三大堰の一つ。曲輪田新田と韮崎市円野町上円井を結ぶ農業用水路、総延長17k。かんばつ常習地の御勅使川(みだいがわ)扇状地には原七郷と呼ばれる7村があり、飲料水にもこと欠き貧しかった。堰は1664(寛文4)年、江戸・深川の商人、徳島兵左衛門俊正が幕府の許可を得、翌年着工。3年かけて完成させ、水下約500haをかんがいしたという。兵左衛門は完成を記念し妙浄寺を建立し、七面大明神を祭る。兵左衛門の墓と徳島堰碑があり、つり鐘には恩恵を受けている村々の名を記す。 石積みや板で造った堰は水漏れが激しく、1965(昭和40)年に永久化、さらに東電釜無川第3発電所の放水、釜無川からの取水、有野地区に調整池を設けるなどして工事を完成。300年にわたる水との闘いを終えた。

2)将棋頭ってなんだろう?
御勅使川(みだいがわ)に設けられた堤防群で、上流側に向けて将棋の駒の頭のような形態をしている。「甲斐国志」には、流れを2分して水勢を弱めるために武田信玄が行った治水事業のひとつと記される。1987(昭和62)年の発掘調査で、河原の自然たい積層の表面に石を張り付けた構造であることが分かった。八田村、韮崎市にも分布する。また川へ突き出すように石を積んだ「石積出し」もみられる。
 

という訳です・・・。
・御勅使川周辺は古くから「月夜で焼ける」といわれた程干ばつに悩まされていた土地でした。一方川の氾濫による水の被害にも古くから悩まされ、住民は矛盾に満ちた苦労を長く強いられておりました。
 戦国時代に川の氾濫を抑える事業に挑戦したのが武田信玄、江戸時代に水不足の解消に挑戦したのが徳島兵左衛門でした。上で見るような見事な治水事業をそれぞれ完成させ、現代では桃、ブドウ、スモモ、サクランボ、カリン、カキ、リンゴ等が収穫されて、全国有数の果樹栽培地域となりました。
 今日のウォ−クは、それら果実の花を楽しみつつ先人達の業績を偲ぼうという趣向であります。

・コ−スリ−ダ−:内海 
・集合場所&時間:御勅使南公園 9:40分
・歩行距離:14キロ
・コ−スについてのお問い合わせ:内海(055-285-2225)
・全般的な問合せ:八ヶ岳歩こう会事務局 多賀(0551-32-5888)
・会員以外の方の参加も大歓迎です。参加費500円と弁当、水筒をご持参の上、集合場所におこしください。雨天決行。申し込みは不要です。

               HPに戻る 会報に戻る