北杜市のスロ−ライフな歩き方

第4回 【美し森〜天女山 2005.11.1】

〜八ケ岳南麓の代表的トレッキングコ−ス〜

(歩行時間3時間)

 

今回のスタ−ト地、美し森から八ケ岳の主峰赤岳(右端)を眺める  
赤岳
         
   
  同じ地点から振り返ると富士山が遠望される
富士山
                赤岳と富士山 対峙の図
 ここは八ケ岳と富士山の背比べ伝説の地。八ケ岳南麓に住む人々なら一度は耳にしている話だが、これが単なる「伝説」ではないことを知っている人は少ない。 背比べは今から2万年ほど前に実際に起こった出来事だ。今回はそのことを解き明かしながら歩いてみよう。

出発地は「美し森下の駐車場」 観光案内所と土産店、トイレもあるので安心。

清里駅からピクニックバス利用が便利です(11/23まで)

美し森といえば清里NO1の景勝地だが、この電信柱と電線の無神経な配置はどうだろう。

ちょっと気になる景観を後に、すぐ出発。

いきなり階段が始まる。事前に軽いストレッチをしておいた方がいいですね。途中苦しくなったら立ち止まって深呼吸をしましょう。腹から息を吐いて腹まで息を吸い込む。これをゆっくり数回繰り返せば疲労物質は溶けていきます。

階段を上らず画面左へ続く林道を歩いても天女山に到着します。途中で合流しますから、足の弱い方はどうぞ林道を。そのかわり最高の展望には出会えません。

階段はちょっときついですが

景色は最高です

振り向けば冨士が遠くに浮かんでいる

前方には八ケ岳連峰が

 この光景に「なるほど背比べ伝説も生まれるよなあ・・」と思わずつぶやきがでる。ではその「背比べ伝説」とは如何なるものか確認しましょう。
ヶ岳は昔、今の富士山より高かったという。
ある時、富士山の女神と八ヶ岳の男神とが、高さの争いを始めた。
「私の方が高い」と男神の八ヶ岳はゆずらないが、「いいえ私の方が高い」と富士の女神もなかなか負けてはいなかった。
そこで両方の神は「致し方ない、とにかく阿弥陀如来さまに仲裁を頼もう」ということになった。
如来さまもこの仲裁には閉口して「それは困った事だ、よし、水は正直だから水で決めよう。
わしはお前さんたちの頭から頭へ樋をかけて水を流し込むことにする。低い方へ水は流れるからな」と如来さまは苦心の末、八ヶ岳の頂上から富士山の頂上に樋をかけた。
やがて水を流し込むとそれは富士山の頂上へ流れ落ちた。
如来さまは「争いをするな、女神、おまえの方が低い」と言った。
如来さまの宣言で、富士山は負けたが、女でこそあれ気の強い女神は負けたくやしさから、八ヶ岳の頭を長い太い棒でたたいた。
すると頭が八つに割れ、現在の権現、編笠、旭岳、西岳、阿弥陀、赤岳などの峯ができたといい伝えられている。
大泉村教育委員会発行『おおいずみむら文化財地図』より
 気の強い女神はコノハナサクヤヒメ。今でも富士山の神様です。男もかなわぬ山ノ神というのはここから始まったのでしょうか(~_~;)

なんてことを思っていると、あっという間に美し森の展望台に着きます。

下から10分ほど。

丸い建物には陽気なオバチャン(失礼^_^;)がソフトクリ−ムを売っていた。250円。美味くて量が多い。

観光客の多くはここで景色を堪能して引き返してしまう。

今日のコ−スは、この先休憩所もトイレもないので、私達もゆっくり休むとしましょう。

 ソフトクリ−ムをなめなめ、あらためて周囲を見回してみると・・・すごいすごい

南に富士山、

北に八ケ岳連峰、

西に南アルプス連峰

東に秩父山塊

 雄大の一言です。ここは日本の背骨の上だからです。分水嶺が走っているのです。

 右上の秩父山塊の写真に飯盛山が写っています。秩父の峰々を結んできた分水嶺は飯盛山でいったん国道に下りて小海線を横断します(JR最高地点)。分水嶺はそこから再び高度を上げて、県界尾根を上がって赤岳頂上へ至ります。

 「道」というもののなかった昔、獣や旧石器人達は川に沿って移動するか尾根を伝って移動しました。分水嶺となっているここは昔から人の行き交う「道」だったのです。ナウマン象の移動もありました。黒曜石の交換などにもこのル−トが使われました。そのようにして獣道ができ、人が通る道が出来ていったのです。

 この道は当時、もしかしたら観光ブ−ムの現代よりも、賑わっていたかもしれません・・・。

ところで、駐車場にあった土産店に「美しの森」と看板がありました。これは土産店の名前だと考えれば目くじらをたてることはありません。が、本来ここは「美し森」で あって、「の」は入りません。観光の方々もよく間違えるところですが、歴史上案外大事なことなので、ここは是非「美し森」と覚えてくださいm(__)m

ウツクシモリとは古語で「ケモノの行き交う小山」と言うほどの意味で、まさにここの地形にふさわしい呼び名であるのです。

 黄葉も素晴らしいこのコ−スですが、ちょっと6月頃のこのコ−スをお見せしましょう。

なんといってもツツジが最高です

ズミ(コナシ)の花も雪のよう

クリンソウも

ニリンソウも可憐このうえなし。

こんな道を歩くのは無上の楽しみ

ついでに冬の散歩の様子も(~_~;)

四季折々素晴らしいことを言いたかったのですが、すみません、寄り道でしたm(__)m

美し森から羽衣の池に向います

階段の道を登ること約15分。

羽衣の池に到着。ここまでがちょっとキツイのです。小休憩をとりましょう。

ここには4月頃水芭蕉が咲 きます。

この池で、天女山に住む天女が羽衣を洗ったのだとか。

しばらくミヤコザサに被われた樹林帯を歩きます。大変気持ちの良い林間コ−スです。

急な階段をおりれば

林道と合流します。駐車場から続く道です

 ここで小休憩をとりましょう。こまめに水分を補給してください。
 この林道は昔のトロッコ軌道だったのです。昭和7年から23年まで馬の曳くトロッコが走っていました。川俣軌道といってもう少し山奥から清里駅まで11キロ。小海線の開通に合わせて計画されたものです。現在清里から美し森へ続く広い車道はその軌道跡に出来たものです。今となっては信じられないような話です。
 山の話に戻りましょう。
 八ケ岳は大変古い山で、140万年前に地質学的活動が活発になり、20万年前には約3400米の火山として成立していました。一方その頃の冨士さんはまだ標高2300米の小山でした。
 ですから、その頃背比べしたとすれば、確かに八ケ岳の方が高かったのです。
 休憩中にそんな話をして盛り上がり、続きは次の休憩で。では出発しましょう。
     
 しばらく行くと川俣川を渡ります。2年ほど前から川俣川を渡る位置が変更されていますので注意してください。しばらくぶりに歩く人は特にご注意願います。

川の手前を左折するのです

 

川の奥を良くみるとこんな看板が

一部崖崩れの恐れがあるので、迂回します。
 

いままでは

←こうやって歩いておりましたが

 

←これからはこうやって歩くのです

この道は見落とし安いですから気をつけて下さい。視界の後ろに道があるのでなにげなく通り過ぎてしまいます。

今日もこの道に気がつかず、まっすぐ川を渡って行ってしまった人がいました。

←こんなふうに道は続き

ここで川を渡って→

崖を上れば、以前の道に合流します。後ろを振り返ればこんな感じ。

柵と柵の間は大きな岩がごろごろしています。危険ですから通らないようにしてください。

  すぐに視界が広がります。 八ケ岳県営牧場に出たのです。

 牧場の真ん中を突っ切ります

記念撮影ポイントです

野辺山の男山・天狗山の遠望

広大な牧草地を行くと

牛首山の後ろから赤岳が見えてきました

行程の約半分、もうすぐお昼です。

しばらく景色を楽しみながら歩いていくと、「八ケ岳展望台」に到着します。

今日の昼食場所です。10時頃歩き始めれば昼前には到着します。

八ケ岳も富士山も牧場も眼前に展開します。テ−ブルもあります。

のんびりたっぷり休みましょう。

雄大な景色にため息。

正面の赤岳の左後ろからほんの少し阿弥陀岳が顔を見せています。

富士山と八ケ岳の背を測った阿弥陀如来様にちなんだ山名かと思われます・・。

 富士の小山が本格的に噴火をはじめたのは2万5千年前から1万5千年前。つまり富士山はやっと1万5千年前頃に現在の高さになったのです。一方140万年前から活動している古い火山「八ヶ岳」はその後も噴火と崩壊を繰り返していました。
 現在七里岩として知られる釜無川沿いの崖は「韮崎岩屑流(がんさいりゅう)」というもので、八ヶ岳の崩壊に伴う堆積物です。土石流と違って岩屑流はあまり水分を含まず、火山の不安定な部分が地震や火山活動などで崩れだし、高速で流れ落ちる現象です。
 韮崎岩屑流は古阿弥陀岳を発生源として韮崎を経て甲府盆地まで達しました。距離は50キロ、厚さは200米、全堆積は10立方キロで、わが国最大の岩屑流堆積物です。地学的にも大変貴重なものです。
 八ケ岳は噴火と崩壊を繰り返し3万年前にも山体東側が崩壊しました。中八ケ岳は現在も山体崩壊期で歴史時代にも大きな泥流が発生しています。
 南八つは北八つに比べて男性的でアルプス的だと良く言われますが、その形成時期が北よりも古く崩壊と浸食が進んでいるからです。
 そして、富士山が高くなってしまった約1万5千年前には、八ケ岳は背比べですっかり抜かれてしまいました。

「そうだったのかあ」というご一行様は、午後も再び牧場の中を歩きます。

手に手にビニ−ル袋を持っています。ゴミを拾いながら歩いています。

歴史の勉強をしたりゴミを拾ったり忙しい(~_~;)

   
 さて私達の先祖はその頃どうしていただろうか。今から3万年前ほど前、 八ケ岳山麓には旧石器人類達が住んでいて、彼らは黒曜石を手にしました。石器の文化が急に進んだ時代です。
 2万2千年前には日本各地の「石材交換ネットワ−ク」は成立していたという学者もいます。そして1万年前には八ヶ岳の縄文時代が華々しく展開していきます。
 つまり八ヶ岳の旧石器人や縄文人たちは、実際に八ヶ岳と富士山の背比べ(火山噴火と崩壊、山容の成長等)を見ていたということになります。
 言い伝えや神話として残る話は人類の細胞に宿る記憶だといいますが、背比べの話しはまさに私達の祖先の目撃談であったといえるでしょう。
 遥かな遠き旅人達が美し森から眺めた光景は今と少し違って、言い伝えのように富士山が少し低かった(時代もあった)のです。現代の地質学が言い伝えは本当だったと解明したのです。

やっぱり富士山は高い

赤岳も雄大だ

   

しばらく県営牧場を進むと、

   

道は再び樹林帯に入ります。

   

落ち葉を踏んで歩く心地良い道

最後天女山に登るのがちょっとした階段できついのですが、直登ル−トと迂回ル−トがありますので迷わず迂回ル−トを選択しましょう。

   

天女山登り口から20分程で頂上に到着です。

ここも伝説の残る地ですが、それはこの地に立つ大きな看板に書かれてありますので、実際に現場で読んでいただくことに致します。

天女山は美し森と並び称されるほど風光明媚な所だと言われていたのですが、残念ながら現在は周囲の木々が成長してしまい、背伸びしないと景色は堪能できません。

ごらん下さい、左の写真の右下に湾曲した物体が写っています。これはイスです。おそらくこの地が脚光を浴びだした2〜30年前に設置されたのだと思います。

現在このイスに座っても目の前の雑木しか見えません。

視点を変えるとなんとか富士山、茅が岳方面が木々の上に遠望できます。

近年この上に駐車場ができ、道路が通じ、ハイヒ−ルでも登ってこれるようになってしまいました。しかも駐車場から少し「下って」天女山の頂上に着くのです。

「下って頂上に到着する」のですよ(T_T) なんだか全然ありがたくない地になってしまいました。

記念写真はやっぱり撮りましょう。ゴ−ルですから。

定番ですが、ハイチ−ズ(^_^)v お疲れ様でした。

 昭和59年に定礎されたというこの石碑は随分大きいですね。もともとここにあった岩だろうか。工事もかなり大掛かりだったろうと想像されるが、きっとこの辺の地面は工事の時かなり荒らされたのだろうな・・・。
 何を心配しているかと言うと、この地にはかつてスト−ンサ−クルがあったのではないかと言う人も多いからです。

よく辺りをみまわすと大きな岩がごろごろしています。工事の時掘り出された岩も多いのだろうと思いますが、しかしスト−ンサ−クルかと思って眺めると、なんとなくそうも見えます。

真実はどうなのでしょか。

目を凝らすと奥に赤岳も見えています。

先人達が何か神聖なものを感じてここを祀りの場としたとしてもおかしくない地ではあります。

このほぼ真南に金精遺跡があります。金精遺跡はスト−ンサ−クルで有名です。

何か繋がりがあったと考えても不思議はないと思われます・・・。

 歩けば歩くほど興味の尽きないコ−スです。
 さて、今回はここ「天女山駐車場」をコ−スの終着点とします。タクシ−を呼べば来てくれます。大泉駅まではタクシ−7分程。美し森に戻るならやはり7分程です。
 余力のある方は天女さんを下山して「八ケ岳倶楽部」でお茶しましょう。そこからタクシ−を呼んでもほぼ同じ条件です。

柳生博さんの店としておなじみです。

さらに余力のある方ならここから小海線大泉駅まで歩いていきましょう。40分ほどです。

(おまけ)さらに余裕のある人向け

「天女山駐車場」から権現岳登山口を15分ほど登ってみませんか。

天の河原というビュ−ポイントに着きます。

 前方は甲府盆地 その上に富士山、左は茅が岳 右は南アルプス連峰


【参考資料】
だたら八つ 2002年秋冬号 げんごろう工房
おおいずみむら文化財地図 大泉教育委員会
ZOOMママのきママなウォ−キング
カラオケパパのわくわくウォ−キング
遠き狩人たちの八ケ岳 堤隆
八ケ岳火山 八ケ岳団体研究グル−プ編
富士山はなぜフジサンか 谷有二
■コ−スについてのお問合わせは「八ケ岳歩こう会」へ