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◇ ◇ ◇ ◇桜の開花を待つ津金三代校舎◇ ◇ ◇ ◇ |
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今回のスタート&ゴールは「おいしい学校」でおなじみの津金三代校舎です。三代校舎とは、 |
| 明治大正昭和の各時期に建てられた小学校の校舎がそのまま同じ敷地内に残されている |
| ことから付けられた名称だ。現在はそれぞれ「資料館」「体験館」「レストラン」となって再生し、 |
| 大好評を博している。日帰り入浴施設もあり野菜やパンなども売られている。ウォーク後は |
| それらをたっぷり楽しむこととして、まずはこの地域の勉強からはじめましょう。 |
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そこで、スタートは明治時代の校舎を利用した「須玉歴史資料館」前とした。おいしい学校として親しまれている昭和時代の校舎の前は休日ともなるとごったかえし、車を置くスペースに戸惑う。その点、この校舎の前にある駐車場は残念ながら(というべきでしょう)いつも空いている。
この資料館は展示物も充実しているが、HPも充実している。どちらもゆっくり眺めていれば何時間もかかってしまう。今回ご紹介する散歩コース途上の歴史的なものの説明は、ほとんどここからの情報によるものです。 |
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| まずはこの旧津金学校の不思議な建築様式と沿革からご覧下さい。意外な「へ〜」が満載です。 |
| 館内展示物の白眉は縄文中期の出土物「人面把手付深鉢」ではないだろうか。全国的に見ても希少性があり、その存在そのものが記紀神話と良く符号し、神話伝承の源流がこの時代(縄文中期)にまで遡るのかと推理した学者もいるほどだ(藤森栄一「縄文の呪性」ほか)。 |
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いつまでも興味が尽きない展示物ばかりだが、歩き始めないと先に進まない。資料館の裏手の「諏訪神社」にお参りしてから歩こうと廻ってみれば、そこにも不思議な石仏が。
聖人が雲の上に立って宙に浮いている。一体この聖人は誰かと言えば養蚕の神様ということだった。蚕神(さんじん)は日本中に祀られているがそのほとんどは「蚕魂大神」などの文字だけでつくられた「文字塔」がほとんどで、このような人の形を彫った蚕神は大変珍しいものだという。
手に桑の木の枝を持っている。見れば見るほど興味の尽きない石仏である。それに、この神社の経歴もなかなかユニークだ。
ちょっとここで甲斐源氏のおさらいを。甲斐源氏の祖と呼ばれている「新羅三郎源義光」は常陸介と甲斐守に命ぜられて常陸国(茨城県)に住み、甲斐国の方にはほとんど立ち寄らなかったと考えられている。 |
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その子「三郎義清」が一族郎党を引き連れて甲斐国に移り住み、さらにその子「逸見冠者黒源太清光」がこの地に勢力を張って、その子孫達が甲斐源氏の各氏として発展していくのです。したがって、本来的な意味での甲斐源氏の祖は
黒源太清光であると言えるでしょう。
ちなみに、「逸見冠者」とは逸見で元服加冠した者の意であり、「源太」は本来「玄太」であった。「源太」は源氏の長男の意だが、源氏の嫡家(総領家)で用いる通称なので「玄太」とした。そこで「クロゲンタ」と呼ばれたのではないか、と「甲斐国志」は推理している。 |
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この神社の場所はもともと清光が居館として城を築いた所であると言われている。その後大泉の谷戸城に居館を移したので、ここは古御屋(現在は古宮)と呼ばれるようになった。このあたりの地名を今も「御所」というのは清光が住んだ所であるからと
推測されている。前出の「人面把手付深鉢」が出土したのも「御所前遺跡」である。 |
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その後古宮城は津金衆と呼ばれる武士集団の館として使われたとも伝わり、武田氏滅亡後、江戸時代に神社となった。津金学校はこの神社の境内に建てられたものである。 |
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縄文中期から現在まで約6500年の間、この地で様々な人の営みが連綿と続けられていたことを知った上で歩くと、目に入る一つ一つの景観、石仏、木々までもが愛おしくなる。 |
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初めからかなり思い入れが強くなってしまったが、ともかく歩みを進めると・・・、すぐ前で車が止まり、中からドライバーが出てきて、私に「郵便局はどこですか」と聞くではありませんか・・・。
私にとっても不案内な土地ですから「知りません」と一言で終わらせてもよかったのだけれど、資料館で一杯色んなことを知ってしまい、この土地に愛着を持ってしまった私ですから、そうはいきません。手にもっていた散歩の為のガイドマップを広げて探してみました。幸いすぐに見つかり感謝されました。この土地の好感度UPに役立ったかなと、少し嬉しくなったのです(^
^;)ゞ |
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| そのマップをご紹介しましょう。 |
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「須玉町トレッキングマップ 散歩が楽しい 須玉町登山ガイドマップ 登山が楽しい」と書かれたなかなかしゃれたマップです。皆様も事前に手に入れて歩きましょう。読み物としても楽しく出来ています。北杜市役所か須玉支所の観光課に連絡すれば送ってくれるでしょう。 |
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今回のコースのタネを明かせば、このマップに載っている右側の地図をそのまま歩いてみたのです。三代校舎から約90分の町並探検のコースです。 |
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このコースのテーマは「蔵」ですが、「蔵」に飾られた「鏝絵」も見ものです。鏝絵を見つけてゆっくり観賞していればそれだけで軽く半日かかってしまうでしょう。 |
鏝絵とは、漆喰を盛り上げて作った浮彫、つまりレリーフのことです。熟練した左官は自分が仕上げた漆喰壁に七福神や干支の動物など縁起の良い図柄を描きました。
左官はまた、木造建築に洋風建築を取り入れた擬洋風建築においても、本来は石や煉瓦で造られるべきアーチやコーナーストーンを漆喰で模したりしました。 |
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マップの赤い点線にそって進んでいくと、道が大きくカーブしている内側に立派な石祠があった。
石祠(せきし)は石で造られた家屋形の石造物で、一般には祠(ほこら)と呼ばれている。石祠信仰はもともと石祠が置かれている大きな石が信仰の対象であったと考えられている。(須玉オープンミュージアムHP)
津金にはこのような石祠が無数にある。
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本日一つ目の鏝絵を見つけた。マップにも赤丸で印してある「早川睦彦宅」の土蔵だ。大黒様の鏝絵である。
以下同様このマップは土蔵の持ち主の名前入りで鏝絵のありかを教えている。それを探し出して眺めるのが楽しいのだが、情報保護の時代に個人宅名まで出しているのがちょっと気になった。しかしここでは地域をあげて伝統文化の保存と再生に力を入れているゾッという心意気の証明かもしれない。名前まで紹介されれば冷たい鏝絵にも血が通って、何故か近しいものに感じられるから不思議だ。 |
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続いて「波に千鳥」。良く見ると波が立体的に飛び散っている。職人さんがこれを造っていく時の工夫や表情が思い浮かぶようである。仕事のなかでの楽しみの一つだったに違いない。
「油屋商店」の蔵に飾られていた。先祖が従事した仕事や家業が「屋号」として残る家が多いが、「油屋」とは先祖が菜種から食用油や灯油を絞る仕事をしていたということである。 |
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油屋の看板自体も鏝絵だ。富士山と松並木。
ところで、日本の田舎では古来生活必需品はほとんど自分の手で作るか、物との交換で手に入れるように努めていた。味噌、醤油、縄、俵、蓑、草履、帯、反物などなど。しかし大掛かりな設備や多額な資本、ないしは専門的な技術を必要とする物は誰でも出来るという訳ではない。
今に伝わる屋号はそれら専門的な仕事や家業に先祖が従事していた家であることの証である。津金には油屋の他に「桶屋」「紺屋」「鍛冶屋」「酒屋」などが見つけられる。 |
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油屋前から来た道を振り返ってみた。八ケ岳連峰が聳えている。見える家並みがほとんど無い、或いは藁葺きの家が数件点在していた程度だった昔を想像してみた。眺望に優れたこの地を、縄文人も源氏の祖も、深く気に入っていたに違いない。だからこそ6500年もの間人はここに住み続けているのだ。 |
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道路脇に注連縄の張られた門柱と大きな二基の常夜灯があった。金比羅さん(藤岡神社)へ行く参道の始まりだ(った)。
この裏は竹やぶから川に続く崖となっている。昔は川に土橋がかかっていて、向こう岸の石段(参道)と繋がっていた。現在は向こう岸の石段さえ道路拡幅のために削り取られて、無残な姿となっている。津金には道路拡幅のために無残に寸断された石段(参道)が無数にある。今は忘れられて苔むし藪繁る石段となっている。いつぞやそれらを訪ねて歩いたことがあるのでちょっと紹介しておきましょう。 |
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しばらく歩くと「竹屋商店」がある。マップではこの角を左折するように描いてあるが、ここで曲がってはいけません。あと200メートルほど先で左折するのです。このマップの唯一の間違いです。皆さん気をつけましょう。 |
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竹屋商店を通りすぎて200メートルほど行くとこんな景色になります。道は右に大きくカーブしていきます。その手前を左折するのです。画面右から2本目の電信柱の前あたり
に道があります。その道を曲がって下さい。 |
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曲がるとこんな景色です。上の写真とあまり変わりませんが、この先で道は大きくS字に下っています。下った所に、県下で最も精巧を極め「下原の道祖神」として親しまれている石祠がある。このコースの見ものの一つだ。 |
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町文化財である。台石まで含めれば高さ2メートル半に達する。「流れ造りで正面は二重破風の手の込んだもの、その前面は唐様の破風を形成し、いっぱいに鶴の舞姿の彫りで飾られている。懸魚、妻飾り、本殿壁間、その他台石まで、すべて見事な彫刻をほどこし、石工の至芸をみせた石祠である」と文化財指定の説明で絶賛されている。
私はそれよりも、この台石を支える石
棒(画面右下)に注目してしまった。わざとそうしたのか、後から補強したのか、良く分からないが、この写真で見る限り、なんだか蹴飛ばせば外れてしまいそうではないか・・・。しかし天保13年の建立というからもう160年は立っている。心配はなさそうだ |
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この後もマップ通りに歩いたもののどうしても「津金又十郎屋敷跡」が見つからない。農作業していたおばあさんに聞いたら「あ、そこだよ」と言って、なんの変哲もない空き地を指差された。そこは畝が幾つかあって畑もやっているようだったが、どうみても何も無い空き地だった。私の疑問をぶつけたらおばあさんは「だってそりゃ跡だから」と呆れて言った。いわれてみればそりゃそうだ。私は「屋敷跡」を探しているのだった。「だって跡だから」というのは良かった。お互い大いに笑って話がはずんだ。おばあちゃんによると、この地域で鏝絵が目立つのは以下の理由によるということだった。 |
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「戦争の時、白壁の蔵は空襲の目標になりやすいからと、壁を黒く塗るように指示があった。木炭で黒く塗りつぶす方法と、赤土をこねて茶色くする方法があった。ここらは赤土が豊富なので皆赤土をこねて蔵に塗った。大変な手間なので、戦争が終わっても、あらためて白壁に戻すような家はなかった。それが10年ほど前からちらほら蔵を修理したり白くする家がではじめた。そりゃあきれいになった方が良いから皆真似したが、そん時吹きつけでパ〜ッと白くしちゃったもんだから、鏝絵まで真っ白になってしまった。 |
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そしたらまぁ器用な人がいるもんだねぇ〜、それをきれいにしようって人が現れた。その代表的な人が三井さんという方で、ここらの鏝絵をぜ〜〜んぶきれいにしてくれた」
三井さんは古い鏝絵を修復したばかりでなく自ら新作を作り出し、大変好評を博した。現在もご健在だが、「歳だもんでもうやっちゃねえ」というのがおばあちゃんのお話しだった。ではその業績と津金周辺の鏝絵を(須玉オープンミュージアムHP)からご覧下さい。 |
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おばあちゃんと別れる際、すぐ上に天狗神社があるから行ってみろと言われた。コースにはなかったが、すぐそこだというので言ってみた。
なるほど、短い坂を上ると、もうそれらしき神社の屋根が見えてきた。うっそうとした背景の森はまさに「天狗」という名の神社にふさわしい。
由緒は江戸時代初期に遡る。長年風水害に苦しんだ住民が、旅の修験者の占いにより、山頂に大山祗命を祀ったことから始まったそうだ。 |

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境内にたどり着き振り向けばその眺望は見事だった。写真でははっきり写っていないが、八ケ岳がくっきりと浮かんでいた。一見の価値ある場所だった。
ここでは「下原のお天狗さん」と呼ばれる祭りがあり、盛大に花火が打ち上げられるのだという。子供が相撲をとり、婦人が盆踊りを奉納するのだそうだ。
下原では大山祗命を祀って以来、風水害がないのだとか・・・。 |
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しばらく行くと「七子の滝」。「ひちこのたき」と読む。マップにそう書いてあるので探したがこれも見つからず、帰ってから調べたら「まさか」と思って撮っておいた写真がそうだった。
なんとここは「笠無暮雪」「古宮夜雨」と並んで「七子納涼」として津金八景にも選ばれていたのだった。「美しく整って一幅の掛け軸の趣のあるミニ仙境です」とあった。「名も高き七子の滝の白糸は 結ばぬさきに涼しかりけり」という和歌まである。さらにここは「津金七不思議」の一つでもあって「ふだんは水量が少ないのに、大雨が降ると大滝と化す」と説明されていた。写真ではとてもそうは見えないが、こんど緑深くなった6月の雨の頃訪れてみよう。 |
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それよりも私が感心したのは、この滝は左の「瀧見橋」から撮ったのだが、橋にかかるガードレールがこげ茶に塗ってあることだった。
写真の左端に写りこんだガードレールの白さと較べて欲しい。白いままのガードレールは景観を阻害する。日本の風景は電柱とガードレールがだいなしにしていると考えている私にとって、これには驚いた。はっきり言って「こんな山里で?」 |
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自然の残る山里こそ昔のままの景観を大事にしなければいけないのだが、それを実行しているところは少ない。それがここでは実現されている。実は今日のコース中もうひとつこげ茶に塗られた橋があった。コース終盤の「蛍見橋」だ。「瀧見橋」といい、「蛍見橋」といい、名前からして粋である。蛍といえば6月
だ。これはますます6月に再訪しない訳には行かなくなった。 |
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七子の滝からマップにしたがって歩いているうちにまた迷ってしまった。マップが悪いワケではなく、私がなにか面白いものはないかとよそ見をしすぎるからだ。
地元の方が立ち話をしているのに出くわしたので雑談の仲間に入れてもらった。
このあたりの里山的雰囲気は良いですねぇと伝えると「たまに来るからいいんだよ、年中住んでごらん、やになるから」と言った。 |
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しかしその目は笑っていた。きっと地元の人なりの謙遜なのだろうと思った。のんびりと立ち話を楽しむ彼らの顔は、その地を愛していない顔ではなかった。
すぐ側に茶色い土壁のままの土蔵があった。これに漆喰を塗って白くすればきれいになるが、このままでも土蔵の機能には問題ないのだという。「金の問題でもあるが趣味の問題でもあるな、オラんとこは土壁のままだあ」と言ってオジサンは笑った。 |
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お二人に本日のハイライトの一つ「清水縫殿之助(ぬいのすけ)屋敷」への行き方を教えてもらった。本によると、津金衆という武士集団を作った佐竹美濃守胤秀は、常陸からこの地に入り、縫殿之助の妹を娶って近郷の諸氏と次第に関係を深め、結束の強い武士集団としていったそうである。
遠くから見ると屋敷の裏の山がまるで要塞か守護神のようで、大変威風堂々としていた。 |
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| 右は同じ屋敷の長屋門前。一昨年の10月にも訪れたことがあったので、その時の報告も、時間のある時にご覧下さい。
それにしても本当に津金は「蔵」の町だ。養蚕が盛んだったとはいうが、それだけでこんなにあちこちに蔵が立つものなのだろうか・・・。 |
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そんな疑問や興味を持ったことを、直接ガイドさんに聞きながら歩けるシステムが津金にはあります。NPO法人文化資源活用協会(0551-47-5501)または須玉郷土資料館(0551-47-5501)に相談してみて下さい。津金地域のガイドの達人が皆さんをお待ちしています。これこそが真のエコ・ツアーというものです。エコ・ツアーとは自然や文化という地域資源を地域ぐるみで保存・紹介し、それによってさらに資源が大切にされていくような循環型ツアーをいいます。 |
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帰り道、時間があれば「藤岡神社」にお立ち寄り下さい。ここも大変興味ある不思議な神社です。もともと「金毘羅さん」と呼ばれていましたが、江戸後期に下津金村民千余人が奉仕して社殿を建て替え、それ以後山の名をとって「藤岡神社」と称しました。「藤岡の秀月」として津金八景の一つにも選ばれています。
さすが金毘羅さん、300段の階段があります。この先に何があるか・・・行った人だけのお楽しみです。 |
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おいしい学校 予約も受け付けています |
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| さて、三代校舎に帰ってきました。 |
| 温泉に浸かるのもよし、ワインを楽しむのもよし、和食に立ち寄るのもよし。 |
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| 花見弁当もやってます。 |
| 花の情報は直接聞いてしまうのが一番です。 |
| 0551-20-7300 |
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今回たった90分のコースでしたが、自然や歴史・文化という面で、見所満載でした。おそるべし津金!。現代の道路状況からは、ひっそりとまるで隠れ里のように見えるこの地に、何故人が住み、神社も建てられ、蔵も多く、文化も発展していったのか想像がつきません。歩いているとこういう不思議な里を発見できるのです。「発見」などと書くと津金の方々には大変失礼で、「ワシ等は昔からここにおるワイ」という反論が押し寄せそうです。まったくその通りです。しかし、三代校舎の成功によって近年脚光を浴びている津金ですが、果たしてそのうち何人がこんなにも素晴らしい里の奥まで、じっくり歩いて「発見」してくれているでしょうか。 |
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ことは津金に限ったことではありません。日本全国どこでも車で行く観光地ばかり。車で行ける所までは華やかだが、その奥はまるで人が訪れない。しかし本来の自然や文化はその奥に眠っている。大事なものが眠っているが誰も訪れないので誰も保護せず、廃れ荒廃していく。そういう地域が多いのではないかと危惧するのです。 |
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里の奥まで車道を作れと言っているのではありません。車道は不要だが、里の奥まで人を引っ張ってくるシステムと、そこにある大事なものを守るシステムがないものかと思うのです。 |
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そこで近年登場したのが「エコ・ツーリズム」という考え方です。エコ・ツーリズムの考え方については環境省のHPを是非お読み下さい。 |
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私は津金に地域ガイドシステムがあるとは今回まで知りませんでしたが、おしゃれなガイドマップの存在やグッドサイト賞を貰ったHP(須玉郷土資料館・須玉オープンミュージアム)等の存在を合わせると、行政と地域あげてのウエルカム体制が整っていると感じました。エコ・ツーリズムというのは一言で言うならまさに「ウエルカム」の精神なのです。観光業者だけがそれを言うのではなく、地域全部がそれを言う。須玉町津金ならそれが出来ると感じました。 |
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皆様、是非この地域のゆっくりウオークをお楽しみ下さい。 |
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(参考資料) |
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津金むかし話 「津金むかし話」編集委員会 |
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デジカメママのキママなウォーキングHP |
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須玉町トレッキングマップ |
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八ケ岳縄文世界再現 新潮社 |
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環境省HPから「エコツーリズム」 |
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須玉歴史資料館&同HP |
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須玉オープンミュージアムHP |
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(このコースの問い合わせ) 八ケ岳歩こう会 又は
NPO法人文化資源活用協会 |
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