北杜市のスロ−ライフな歩き方

第5回 【三味線滝〜観音平 2005.12.1】

〜八ヶ岳鹿の森と自然観察遊歩道〜

(歩行時間3時間)

四季折々の自然が息づく「八ヶ岳鹿の森」 晩秋とも初冬ともつかない暖かな12月の初旬

  表情豊かな森を歩いて、森との対話を試みよう。

    晩秋の防火帯          冬は鹿の天国となる     観音平から富士遠望

    散り残るもみじ       極稀にかもしかも下りてくる 季節は違うがこんな可憐な花も


皆さんは、「森林文化の森」をご存知でしょうか。山梨県が、人と森林との関わり合いを実現する場所、また、自然への回帰を目指す場所として、平成9年度に幸住県計画の重点項目に位置づけ、平成10年度に整備計画をまとめたものです。

「森林文化の森」は、訪れる人々が「森林に出かける」という意識を持って、服装や靴などそれなりの準備をして訪れる場所としていきたいと考えています。ですから、できるだけ今ある自然を壊さずに、森林そのものを活用していくことが重要と考えています。

 また、訪れる人達が森林とのつき合い方を知っていることで、一層楽しく森林と親しむことができます。そのため、森林とのつき合い方を学ぶことができるような環境づくりも「森林文化の森」の整備と同時に行っていきます。
                       (山梨県HPより)

■県下に15箇所ある「森林公園」のうち上の地図は「八ヶ岳の森」の場所を示したものです。

下は「八ヶ岳の森」の計画図です。「鹿や蝶と共生し星空を楽しむ森」と位置づけられています。

                                              (山梨県HPより)

  今回、この図の中の三味線滝〜観音平を歩いてみました。
  シカの森ゾーンと名づけられた辺りを拡大したのが下の図です。

  「現在地」は八ヶ岳公園道路の長坂町「小荒間」の信号。ここに車を置いて鐘掛松から
  三味線滝〜観音平〜大平林道〜鐘掛松〜現在地へ約歩行時間3時間の散歩です。

それでは歩き始めましょう。

「小荒間」の信号が目印です。

ここは権現岳への「小泉登山口」としても知られていました。昔はよく利用されていたそうですが、今はもっぱら「キノコ、山菜採り」」の人が利用するに過ぎません。

この登山道(古杣林道)は冬季車両通行止めとなります。ゲート前に数台の車が置けます。

周遊して又ここに戻ってきます。

閉鎖は12月〜4月までですが、この期間の方がキノコ採りや山菜採りの人もいず、静かな散歩が楽しめます。鹿に遭遇するチャンスも高まります。

1キロも歩かないうちに鐘掛松の十字路に出ます。正面の道(古杣林道)は利用価値のない旧道として荒れ、現在は通行止めとなっています。

ここを右折。並木上林道に入る。左は大平林道で、帰路ここを歩いてくることになります。

それにしても、せっかくの遊歩道だというのに舗装されてしまってあじけない。

鐘掛松は、昔山火事を知らせるための鐘が掛かった大きな松があったのでそう呼ばれていたが現在はその松が倒れ、記念樹と馬頭観世音のある広場になっている。

しばらく歩くと又似たような三叉路に出る。

ここを左折。左に作業小屋があるので目印となる。

正面と右折の道はもうずっと前から工事が続いている。というよりも途中で放り出されているようだ。今後どうするつもりなのだろうか?

しかも看板をよく見ると

「須玉町江草前山」区間の工事中となっている。

ここは長坂町小荒間です。

どうなっているの??

ともかく左折すると、白樺の多い、きれいな景色の道が現れる。これで舗装でなければなお素晴らしい。

・訪れる人々が「森林に出かける」という意識を持って、服装や靴などそれなりの準備をして訪れる場所としていきたい

という趣旨の森の割にはやっていることがちぐはぐだ。

道はY字となる。どちらでも三味線滝へ行くことが出来る。左が旧道で右が新遊歩道だ。

せっかくだから新遊歩道を歩きましょう。

この辺からやっと山道を歩いている気分になる。

清流やすらぎゾーンと設定されたあたりに出る。水は流れていない。

空は広く大きく開けて、稜線も見えてくる。

あたりの景色は気持ちが良く、だらだらとした上り坂も苦にならない。

癒される道だ。清流はないが、やすらぎゾーンという命名に異議はない。

右はこの付近の新緑の頃の写真。鳥も蝶もやってくる。夏にはアサギマダラもやって来る。この高山蝶は千キロ以上も飛翔するという。

アサギマダラ自体は珍しい蝶ではないが、渡りをする蝶という意味では貴重である。マーキング調査が行われているそうだ。

ところでこれは植栽の失敗か、遊歩道両脇に
桜の屍が累々と続いていた。皆枯れている。  
遊歩道建設の時に植えられたのだが・・。
     もともとここには桜はあまりなかった。そういうことを事前調査しないのだろうか?
     この事業が始まる前からこの森をフィールドとして歩いている私としては少し悲しい。

又少しテンションが低くなったが、白樺林の美しさに救われる。

またもやY字分岐。ここもどちらもOKだ。

左は旧道にぶつかって右折すれば滝へ。

右は小川沿いの道をまっすぐ滝へ。

今日は右へ下ります。

歩き始めて約1時間で今日の目的地の一つ「三味線滝」へ到着。

長坂町にあるただ一つの滝だそうだ。

水量がなく、今にも途切れそうな弱々しい滝のようだが、凍るとそれなりに見ごたえがある。

近くまで寄ってマイナスイオンを浴びましょう。

 

滝の落ち口に染み出た流れが凍り始めている

 滝壺付近の飛沫も凍っている

訪れたのは11月18日だ。この分では年末には全面凍結があるかもしれない。

一服したら観音平方面へ。今日2番目の目的地まで2.2キロ。

のんびりウォッチングしながら歩こう。 今日はまだ誰にも会っていない。

カラマツの落ち葉が部厚く降り積もっている。歩くと靴が沈む。気持ちよいことこのうえなし。まっすぐな木は全てカラマツだ。

八ヶ岳は植林の山。昔から森林火災も多く、先の大戦では戦時用木材も大量に切り出されたという。戦後植林が全山で行われた。

したがってあまり大木は見当たらない。

これは珍しい。枝が幹から真横に出てすぐに真上に立ち上がっている

この枝が左右対称に出ていると、天狗や山の神様がそこに座る木として、杣人たちはその木を伐るのを嫌がる。伐ると祟りがあると言われる。したがってどんどん太くなり、ますます伐りにくくなる。このような針葉樹は「神居木=かもい木」と呼ばれ、大事にされる。

左の木は樹齢300年のさわら。

見事な神居木である。

残念ながら八ヶ岳の木ではない。中山道は木曽路で見つけた大木である。

八ヶ岳にも良く探せばあるかもしれない。そういう目で山中を彷徨うのは楽しい。

権現岳への登山道と交差する十字路を過ぎる。

左折して下れば先ほどの鐘掛松に戻る。

ここで面白い光景に出会ったのでご覧下さい。

先ほど撮った路面

これから先の道の路面

 まるで落ち葉が違います。カラマツとクルミやコナラの違いです。足音がカサコソと賑やかになりました。どちらもふわふわとした落ち葉の道です。歩いているとこの落ち葉の境界がほぼはっきりと分かるから愉快です。

 目を上に上げれば、葉を落とした林間からは南アルプス連邦や富士山が。

    再び道はカラマツの落ち葉となり、    急な階段がくの字に続く箇所を過ぎれば、

       古杣林道と出会います。        このあたりは昭和44年の植林とありました。

       観音平の方へ直進すると、水のない川原に出ます。この先少し登れば観音平だ。

観音平直下の看板。

「熊の目撃情報がありましたので、ご注意ください」 なを、見かけ方は小淵沢役場までご連絡ください。0551-36-2111

以前は八ヶ岳には熊は生息しないというのが定説だったが、現在それは完全に覆されている。南麓では熊の冬眠した穴も確認されている。

山歩きは必ず鈴を鳴らしながら歩きましょう。

  今日の二つ目の目的地、観音平到着。富士と南アルプス連峰が眼前に。

鋸岳、仙丈岳、甲斐駒ケ岳、北岳、鳳凰三山等、名だたる名峰が連なっている。見ていて飽きない展望だ。

ここには車であがって来ることが出来る。八ヶ岳公園道路から上がって、終点が「観音平」の駐車場。観光客も多い。

広い駐車場が編笠山や権現岳の登山基地ともなっている。秋は「キノコ採り」の車で満車になることも。

観音平は空が広くて人工物がないので、星空観測の地としても有名だ。望遠鏡やパソコンを詰め込んだ改造ワゴン車が並ぶこともあり、夜間この駐車場に進入する時はライトを落として入るのがマナーともなっている。

だがその道路も冬季は閉鎖となる。その意味でもこのコースは冬季にお奨めのコースだ。静かな散策が楽しめる

駐車場からの展望は無い。少し下った「展望台」から見ることとなる。

ここで一服したら「ヒカリ苔」とある看板の方へ歩こう。ここからはもう上り坂はない。 安心して歩きましょう。

観音平には「南無観世音菩薩」の大きな石碑が建っている。 徳富蘇峰筆とある。

観音平と徳富蘇峰、一体どういう関係があるのかと思い調べたら下記の様なことが分かった。

まず観音平という地名だが、これは平成4年に101歳で無くなった稀代の書家「遊記山人こと宮田武義」の命名によるものだ。昭和30年代だというから以外に新しい地名なのですね・・。

この上に森羅三郎義光が建立した「矢の堂観音」があることからも「観音平」という名はふさわしい命名だったと思われる。

では、宮田武義・遊記山人とは誰か?

 山人は独力で書人としての歩みを進める一方、商社マンとして中国大陸を渡り歩いた。大正9年には外務省情報部に顧問として招請され帰国。広田弘毅、吉田茂らと共に働いた。
 退職した大正11年、東京初の広東料理店「山水楼」を開いた。客人は犬養毅、徳川家、皇族方など華麗で、社交場としても有名になり、徳富蘇峰などの文人墨客も集まった。が、昭和20年、東京大空襲の直撃を受け店は店は壊滅、全従業員即死という大惨事に直面した。誰もが、山人も亡くなったと思われた中、瓦礫の山と化した焼け跡から「延命十句観音経」を唱える声が風にのって聞こえてきた。直ちに捜索したところ、爆風で出来た深さ10メートル位の大きな穴の中に、意識不明の山人が発見され、そばに観音像が落ちていたという。
 この陶磁器製観音像も無傷であったということで、居合わせた正力松太郎からの情報としてラジオ、新聞で流された。
 これが奇跡の出来事として有名になって、川端康成、棟方志功、徳富蘇峰らの有志連合ができ、山人とともに観音堂建立の動きがたちあがった。
 八ヶ岳の石碑はその時の仲間で清遊に来たときに寄贈したものだそうだ。山人は命名好きとみえて、近くの湧水も「延命水」と命名し た。「延命十句観音経」にちなんだものでしょう。小淵沢スパティオが「延命の湯」としているが、この湧水に由来している。意外なところでは銀座「みゆき通り」も山人の命名だそう な・・・。
 ちなみに、現在東京高輪の泉岳寺の小高い丘に有志連合の観音堂が建てられています。
 山人は生涯「延命十句観音経」の読唱を生涯続けたと言うことです。
 
 東京大空襲のおかげ(?)でこの石碑が建てられ、この地が「観音平」が命名されたと言ってもよい。一種の「平和祈念碑」ということになろうか。

ところで、同場所にはこんなものもあった。

「科学と 宗教は ほんらい 同一である」なんて書かれてある!?

この由来は分からなかった。

 

 直下に「ひかり苔」の岩屋がある。なぜ鉄格子で塞いでいるの だろうか。八ヶ岳山域ではひかり苔はそれほど珍しいものではない。

ただ、これが「ひかって」見えたことは無い。

どういう状況の時に光ってみえるのだろうか。

   

さて、道はこのような岩石が無数にころがる林間をずんずん下って行く。

この岩石を仔細に観察しながら歩くとなかなか面白い。

   

「獅子の顔」

枝の影を目として、獅子の横顔に見立てた。

   

「海がめの産卵」

「産卵」は余計かもしれない。

   

 

右を顔、左を尻にみたてて「サイ」

カバでもいいですけど・・

 

真ん中の岩が誰かの横顔に見えた・・。

ギリシャの哲学者か、トリスおじさんか。

 
よく見ると「観音平岩石園」と読める古い看板があった。

武田信玄が矢の堂観音堂(当時は建物があった)に参拝した折、矢の堂の前庭であるこの風光明媚な岩石園を愛したと言われている。

と書かれていた。

 

岩石園を出るといきなり目の前の視界がパッと開ける。前方は南アルプス。甲斐駒ケ岳、北岳なども浮かんで見えて、素晴らしい景観だ。

まるでスキーコースのように見えるが、

これは森林火災を食い止めるために人工的に伐採した「防火帯」又は「防火線」と呼ばれているものです。

   

振り返ると権現岳が顔を出していた。

両側はカラマツで、材としてはあまり優れていない木だそうだが、黄葉と新緑の時だけは人から賞賛される。

黄葉もすばらしいが、新緑の美しさは他の木の比ではない。薄黄緑の墨を流したような淡い新緑の季節の光景は、その見学のためだけに遠方から1泊の登山を計画をたてても十分価値のあるものだ(お待ちしております)。

   

防火線と林の境の「林縁部」は各種山菜の宝庫で、春になるとどこからともなく山菜採りの人たちが現れる。

冬になると山から鹿が下りてくる。このあたりは鹿の通り道でよく遭遇する。雄鹿がよく林縁部から顔を出して見張っている。安全だと分かると雌や小鹿の群れを引き連れて防火線に出てくるのです。

防火線は鹿たちにも活用されているようだ。

   
 昔から「八ヶ岳は材木が育つ暇がない」と言われるくらい山火事が多く、荒廃した状況であった。明治40年山梨県を襲った大水害があり、その救済のため明治44年、一帯の山林7、489ヘクタールが御下賜されました。この恩賜林を火災から守る手段として、住民の勤労奉仕によって、巾16メートル、総延長17000Mに及ぶ防火線が作られた。以後、火災の発生にあっても、この防火線によって、火勢が弱められ、大火が少なくなった。
と、この看板に書いてあるのだが、大変古くて読みづらい。

上の看板と一緒に新しく書き換えて欲しいものだ。

八ヶ岳にはこのような防火線がいくつもあり、植物や動物の自然観察によく利用されている。

   
ずんずん下っていくと、防火線を林道が横切っている。

大平林道だ。

これを左折して、鐘掛松に戻る。

   

11月末の林道はこんな具合だ。

両側にススキ、その奥には笹がびっしり生えている。

糞や足跡、食痕などのフィールドサインを探しながら歩こう。

   
中央にススキが無く、奥の笹が見えている。これは鹿たちの道、いわゆる「けもの道」である。

 

 

 

奥は笹も踏みつけられて、はっきりとした「けもの道」となっている。

林道は至る所で、けもの道に横断されている。

道がぬかるんでいる所には足跡も残っている。

   

写真でははっきり確認できないが、実際にはこれが鹿の足跡であることが見えた。

まだ新しかった。

   

横には樹皮が剥ぎ取られた木が立っていた。鹿が角を研いだ跡である。むき出しになった幹の表面に上下方向の筋が何本もついていて、ササクレ立っている。

鹿は秋に角を落とす。木にこすりつける行為は、それを促す行為であると理解されているが、正式にはまだよく分かっていない。

 

   

鹿の目線になって、少ししゃがんでみた。

ふ〜ん、鹿はこんな景色を見ているのか・・

あたりの笹は「ミヤコザサ」と言って、これ以上大きくならない。

「笹のない森に鹿はいない」とまで言われている。きっと食べやすく、おいしいエサであることだろう。

   

なんてことを想像しながら林の中を彷徨っていたら、なにやら向こうに不思議なものが・・。

 

 
 上から落ちてくるものを集めているようだ。  中を覗いてみると、想像通りのものが・・。

   

上を見上げてみても、それ以上のものは入りそうもない。

落ち葉や種子などから植生を調べようというものか。

普通なら人の入らない林間で、地味な調査が行われているものだと感心。

   

さて、林道も終わり、鐘掛松に戻ってきた。 キョロキョロとなんでも面白がって歩いてみると、案外沢山ネタは転がっている。随分時間をかけて歩いてしまったが、どうもずっと誰かに見つめられているような気配があった。

山の精か気のせいかと後ろを振り向き振り向き歩いたが、ここ、左の湾曲した白樺の木の下で大きな雄鹿が こちらを見ていたのを発見、こいつだったのか!。あわててカメラを構えるより早く逃げられてしまったが、おしりの白い毛をこちらに見せながら 悠然と森の奥に消えていくその姿は山の精か山の王者と呼ばれるにふさわしいものだった。

 ここは「鹿の森」と呼ばれるゾーンである。山が雪で閉ざされるこれからの時期、エサを求めて鹿が下りてくる。いよいよ「鹿ウォッチングの季節」が来た。鹿だけではない。リス、テン、冬鳥、かもしか、時には熊らしき動物の 気配などを感じつつ歩くのは、少し恐ろしく胸高鳴る冒険だ。
 もともと彼らの棲家であった自然の中に我らがお邪魔するのである。少しの危険や遠慮があって当然だ。森の中からの無数の目によって我らこそ「ウオッチング」されているのである。しかし少しの好奇心と謙虚な心を忘れずに森に入れば、森はきっと色々なことを教えてくれるだろう。
 八ヶ岳の森は、そこを歩く人に様々なことを伝えようとしている。森にはそういう意思がある。貴方が何を感じ、何を発見するかは、貴方の好奇心と謙虚な心次第なので ある。
 人の気配がうすくなり、森の意思の強くなるこれからの時期こそ、遠慮なく森に入ろう。思いもかけない森との対話が待っているかもしれません・・・。
 ※なお、雪のある季節はスノーシュー(西洋かんじき)持参が好ましい。スノーシューをつけてさえいれば、森の奥深くどこへでも入っていける。八ヶ岳ではスノーシューのイベントも多様に行われている。まずはイベントに参加してみて冬の里歩きの楽しさを学んでみるのもよい でしょう。

【参考資料】
■山梨県HP
■遊記山人 宮田武義HP
■八ヶ岳の森・遊歩道案内 きたむらひろし著
■八ヶ岳と周辺の高原 ネイチャーネットワーク
■デジカメママのきままなウォーキング

■コ−スについてのお問合わせは「八ケ岳歩こう会」へ