北杜市のスロ−ライフな歩き方

第1回 【風きりの里・三社まいり」 2005.9.1】

〜二百十日の八ケ岳に舞い降りた風野又三郎〜

(歩行時間約2時間)

 

-予備知識-

「三社まいり」とは


■今から270年も前から、清里(樫山地区)では「三社まいり」という神事が行われていました。
■三社とは、日吉神社・風の三郎社・八ケ岳権現者の三つで、この三社を組単位(10人くらい)で、毎年七月一日から十月三十一日までの間に、代表の代参が行われる。それぞれの神社には、「オハンネリ」といって、米を紙に包んで奉納する。
■日吉神社には晴天の祈りを、風の三郎社には暴風雨除けを、八ケ岳権現社には雨乞いを、それぞれ祈願するのです。

(利根川武男)

三社をまわって豊穣を祈願する風習は東北地方にもあるのだそうです。 賢治学会の松田司郎さんによると「風」と「水」と「日(火)」は大変重要な元素で、これに「土」が入ればこの世の中を作っている根源的な四元素だというのです。

田畑は「土」ですから、「三社まいり」という風習は奇しくもこの世を形作っている根本の神様に祈りを捧げていることと同じなのではないか、とおっしゃっておられました。

そんな大切な風習が行われなくなってもう60年ほどになります・・・。 左は水田がすっかり蕎麦畑に変わった現在の樫山地区の風景です。(2005.8.29)

 
賢治の風野又三郎のお話は9月1日から始まります。9月1日は二百十日という台風のあたり日で、農家にとってはいわば厄日です。そんな日に「どっどどどどうど どどうど どどう」と吹く風とともに転校してきた又三郎は子供たちにとって一体何者だったのでしょうか?
 もしかしたらここ「風きりの里」が賢治の童話のもとになった場所かもしれない、というロマンを胸に抱きながら、「三社まいり」という古い風習のあった社を訪ねて歩きました。
 今は静かな里山を、のんびりゆっくりのウォ−キング。貴方も初秋の一日、「風」になったつもりでそぞろ歩いてみませんか。ゴ−ル地点の蕎麦処「北甲斐亭」では美味しい蕎麦が待っています。
スタ−トはそば処「北甲斐亭です。

ここから約6キロ2時間の周遊コ−スを歩きます。

道はすぐに風きりの松の中に入ります。

風きりの松の最北端に五幹の松があり、その下に雨乞いの「八ヶ岳権現社」が祀られています。

これが五幹の松です。

松の大王といった貫禄があります。これ以上北には赤松の大木はないそうです。

ここで村人達は雨乞いの祈りを捧げたのです。

小さな権現社の祠には5円玉と10円玉が何枚か置かれていました。

権現社から日吉神社へ向かう道。

先人の苦労を偲ぶ堰(せんぎ)の周辺がミニ公園風に整備されていました。

どこも歩いても蕎麦畑

蕎麦畑の向こうに風きりの松が見えます。

その奥に八ヶ岳。

ここ樫山地区は「風きりの里」と呼ばれています。風きりとは防風林のことです。北甲斐亭をはさんで上の写真のような赤松の大木が列をなして続いています。 この赤松の行列が山村にアクセントを与え、趣のある里山の風景を作っています。昔はこの松を切ると、一族郎党みな打ち首になったそうです。そのくらい大切に守られていたのですね。
左右の写真は日吉神社です。

村人達はかつてここで晴天の祈りを捧げました。

筒粥神事が行われることでも知られていますが、今では普段は訪れる人もなく、階段はツユクサですっかり覆われておりました。

 

三郎社(利根神社)はとても分かりづらい所にあります。

写真右手前の大きな井戸らしき跡を目印に曲がりますが、神社に行く以外生活道路でもないので「道」らしくなく、他所の人の畑に入っていってしまう感じです。

振り向けば飯盛山が小さく尖がっています。
利根神社(右) 

利根神社の境内に風の三郎社が祀られています。

 

風の三郎社は様々な経緯から利根神社の境内に移されて、忘れられた存在となっていました。

上の写真右の小さな祠が三郎社です。

手をあてている辺りにごくかすかに判読できる程度に「風」の文字があります。

村人達は八ケ岳颪がおさまるのを三郎社に祈ったのです。

神社からは権現岳が見えています。

「甲斐叢記」に「八嶽」として「三頭岳、赤岳、毛無岳、風三郎岳、編笠岳・・」と書かれており、小淵沢の歴史家で高福寺住職の水原康道氏は「権現岳」を「風三郎岳」と比定してい ます。

権現岳山頂からは風を鎮める呪具の薙鎌も出土しています。

道はクリスタルラインから少し津金方面へ戻り気味に歩きます。

少し歩くとこんな橋があります。私の大好きな橋 です。

何度歩いてもこの「橋のある風景」には心がなごみます。 ここから北甲斐亭方面に戻ります。

この橋は最近の大きな台風でかけなおしたそうですが、それでもちゃんと昔風の木の橋(下がすけて見える!)の、ままに復元したというのが気に入っています。

橋に敬意を表してここで記念撮影をしたことがあります(2003年11月撮影)

「風きりの松」の中の散策路を歩きます。

気持ちの良い道です。

両側の赤松の大木が何かを語っているかのようです。実は・・・

この松林にもいろいろな歴史がありました。左は「松根油」を採るために大木が伐採された跡です。こんな跡が幾つもあり ました。このあたりの山中にも幾つも残っているのだそうです。

敗戦色濃厚になった昭和19年、物資も不足し、ついに戦闘機用のガソリンまで松の根株を煮詰めて取り出した「松根油」でまかなうということになったのです。

何百年の樹齢を誇った大木も「戦時中の政策」にはひとたまりもなく次々に倒されていきました

そんなことが「説明板」に書いてあります。丁寧につくられた道と看板で、土地の人が自分達の地域の歴史をいかに大事にし、伝えていこうとしているかが伝わってきます。

ところで右の店の屋号は「松根商店」といいます。

 良く見ると「松根 理髪部」と書いてあります。今は店を閉じているようでしたが、ここら辺りの中心的なお店だったのでしょうか。 戦争も終る頃、松根油を採取するために兵隊さんが大勢来てここらあたりに民泊し、一時大いに賑わったそうです。ここには例の青赤白のグルグル廻る理髪店の看板も残っていました。清里開拓の父ポ−ル・ラッシュは、この床屋さんでしか自分の頭を刈らせ ませんでした。ここの親父さんが散発道具一式を持って清泉寮まで通った といいます。後日お訪ねした時に、古びた鞄の中に入ったその道具一式を見せていただきました。
 風きりの松の中の道を辿ればゴ−ルの北甲斐亭はすぐそこ。お疲れ様でした。

 以上が「三社まいりウォ−ク」のコ−スです。 大変気持ちの良い里山コ−スです。北甲斐亭で美味しいお蕎麦を食べて解散です。初秋の一日、三社まいりの歴史と風の又三郎のロマンを思いながらのんびり歩きましょう。
 「風の三郎社」と宮沢賢治の「風の又三郎」とは何か関係があるのではないか、という単純な疑問について、そのことに関する今までの経緯をちょっとまとめてみましたので 興味のある方はお読み下さい。
 なを、こんな地図があります。高根、清里方面の観光案内所などで手に入るでしょう。これには「風の三郎社」は入っておりませんが、北甲斐亭からの気軽な散歩道としてご利用ください。
 最後までお読みくださってありがとうございました。

(参考資料)

改訂 高根のむかし話 山本千杉

風野又三郎 新潮文庫「ポラ−ノの広場」収録

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