北杜市のスロ−ライフな歩き方

第3回 【清里 開拓の道 2005.10.1】

清里開拓・二人の恩人の足跡を訪ねて

(歩行時間3時間)

 今、清里には青い空に白い雲が浮かび、緑の牧場には清らかな風が流れて、高原には若者達の歓声が響いています。 厳寒の念場が原で松ヤニにいぶされながら暖をとった開拓民たちの血の出るような苦労を今や誰もしるよしもありません。
 今回はリゾ−ト地清里の礎を築いた開拓の恩人二人の足跡を訪ねるウォ−キングです。

スタ−トは清泉寮です。

清里駅から徒歩20分。ピクニクバスも出ています。

車の方は「県立八ケ岳ふれあいセンタ−」に駐車して下さい。

清泉寮前庭の「ポ−ルラッシュ像」を拝んでからイザ出発。

清泉寮の駐車場からその道は始まります。

普段気にしないと見落としがちな小道ですが、大きな看板が目印です。

ポ−ル・ラッシュ記念センタ−」と書かれています。清里の恩人の一人 宣教師ポ−ル・ラッシュの足跡から訪ねます。

10分も歩かないうちに記念センタ−に到着します。

時間をたっぷりとって館内を見学してください。

ポ−ルラッシュが清里に残した足跡の大きさに驚かれることでしょう。

ポール・ラッシュ記念センター玄関の写真
 ポ−ルが最も尊敬する聖路加病院設立者トイスラ−博士は、ポ−ルにこう伝えました。「もしキリストの名のもとに何かしようと思ったら、人々が目標としてまねのできる本物を示せ。しかもそれは一流のものでなければならない」
 ポールはこの教えを忠実に守り、自ら教え子を導くために最善を尽くして清里を開拓し、人々に希望を与え、日米の友好にも人力して、有名なDo Your best、and it must be first class.(最善を尽くせ、しかも一流であれ)という言葉を残しました。
 私たちはどうがんばっても「一流」にはなれそうもありませんが。前館長の布川さんは「最善を尽くすことが一流なのだ」とやさしく説いてくれました。なるほど、それなら私たちもポ−ルさんの教えを踏襲することができそうです。
 

記念センタ−手前にこんな小道があります。小さな道と小さな看板ですから見落とさないように。

矢印看板には「ジャ−ジ−ハットへ・川俣渓谷への道」と書かれています。

気をつけて辿っていかないと途中で川俣渓谷の方へ行ってしまいますが、分かれ道を左へとるとまもなく、

 

こんな草原に飛び出します。

清泉寮前の大牧草地です。

四方を山で囲まれて雄大そのもの。かつてここを舞台として清里の若者達がポ−ルラッシュのもとで酪農を学び、夢を語り、戦後日本の農村復興のモデルとなっていったのです。

ポ−ルラッシュが導入した

清里自然学校が見えてきました

寒冷地に強いジャ−ジ−牛

   

自然学校から再び森の中の小道を辿って

聖アンデレ教会に出ます

   
この森の中の小道は「十字架の道行」と名づけられ、イエスの生涯を辿ることが出来ます。

このコ−スはその道を逆から辿ることになるので、入り口を見つけるのはちょっと大変です。

自然学校に声をかけて入り口を確認した方が良いでしょう。

聖アンデレ教会はポ−ルが清里の人々にも気軽に来てもらおうと礼拝堂内部に畳を敷いた、大変珍しい教会です。

 

イエスの生涯を道案内として歩きます

 聖アンデレ教会から小海線の踏切りへと向います。

2005年、拡張された小海線清里駅西の踏切り。JR小海線は「高原列車」として人気です。

開拓の恩人の足跡を大枠で捉えると、線路から上がポ−ル・ラッシュ、線路から下が安池興男の関連エリアといえるでしょう。

コ−スはここからしばらく拡張された道路の歩道を歩き、安池興男の足跡を辿る道へと進んで行きます。

 その前に、振り返って道路の両脇にある大きな門塔にご注目ください。特に清泉寮に向かって右側の門塔に【われ山に向かいて目をあげん わが助けいずこよりきたるべきぞ】と刻まれております。聖書の言葉です。これには深い意味があるのです。

 昭和13年に建設された清泉寮は昭和30年、風呂場から出た火によって全焼してしまいました。このときポ−ルはすでに58歳。言葉にならない大声をあげながら泣きじゃくったといいます。生涯をかけたすべてが消え去り、もはや再び立ち上がる気力を失いかけたのです。
 ところが、その日から村人たちの自発的な募金活動が始まりました。村長も、議員も、清里の子供たちも、南牧村の老人も、打ちひしがれるポ−ルを訪ねては集めてきた幾ばくかのお金を差し出していくのでした。
 そしてついにポ−ルは出火から5日後、こんな手紙を祖国アメリカに書いたのです・・。
 「私は今こそ、私の周囲にいる農民たちが偉大な人々であることを知った。彼らは火事や地震にあってもへこたれない。人生は進めなければならぬと知っているのだ。彼らは大部分キリスト教徒ではない。しかし、人生の本当の意味を私に教えてくれた。世界が終るまで私はこの人たちと一緒に進もうと思う」
 手紙を書いて焼け跡に立つポ−ルに 「われ山に向かいて目をあげん わが助けいずこよりきたるべきぞ」の言葉が天啓のようにもたらされるのでした。
 その後ポ−ルはご存知の活躍で、昭和54年82歳で無くなるまで終生清里の人たちと歩んだのです。
 ちなみに昭和32年、清泉寮は再建され、その年聖ヨハネ保育園も開設されて、ポ−ルの夢だった「清里農村センタ−」はますます充実していくのでした。
さて、コ−ス後半は右のような舗装の道を歩くのですが、よくご覧ください。牧柵下に草花が植栽されて目がなごみます。牧場通り沿いフラワイ−ラインと呼ばれています。

これらは景観美化や環境保全に力を入れる地域の方々が、四季折々手作業で維持管理されているのです。さらに、ご覧ください、下の休憩所をポケットパ−クといいます。これらの整備も地域の方々によってなされ、ここを訪れる人々に安らぎをあたえています。ここは朝日ケ丘と呼ばれる地域です。

ポケットパ−クにはこんなものがありました。

中をあけてみると・・・

   

朝日ケ丘トレイルマップというものが出てまいりました。なるほどなるほど、これを読むと地域の方がここを訪れる方々にいかに心地よく過ごし、心地よく歩いていただきたいと願っているかよく分かります。

さすが昔開拓で苦労された地域です。きっと地域を大事にし誇りに思うDNAが受け継がれているのですね。朝日ケ丘のみなさんのHPをご覧ください。

先人達のご苦労は今、花が咲いていました。

   
ウォ−カ−にとって舗装の道はいやなものですが、ここにはなんとも心地よい風が吹いています

要所要所にこんな案内看板もあり、ホッといたします。手に入れたトレイルマップと照らし合わせて歩けばなんの心配もありません。

「豊国神社」と書いてある方へ曲がります。

 

   

しかし今回は、このトレイルマップにも載っていない道を通って神社に行きます(~_~;)

牧柵が一直線に続いていますが、遠くの方で牧柵が左一直線に向かっているのが見えますか、そこを曲がるのです。

この道です・・・。こんな大きな道ですが、何故かマップには載っておりません。

ここから先が今も残る「開拓の道」です。このあたりに入植された方々が荷車や大八車を引いて仕事に精をだされた「血と汗の道」です。

周囲に幾つもの道路が出来て、この道はすっかり使われなくなりましたが、きっと「思い出の道」として大事にとっておきたいのだろうと私には思えました。

奥に進むと小さな分岐があります。よく見ないと分岐とも気づかない分岐です。

画面右半分の白い砂利が敷かれた道ではなく、左奥の森へと下りる小さな土道がそれです。

道はいよいよ開拓の道らしくなってきました。

こんな静かな道が続きます。おそらく一日に一人も通らない日の方が多いでしょう。

周囲に新道が次々に出来、車も通れないようなこのような古い道は役割を終えた道扱いで、国土交通省の地図にも載っていません。

しかしれっきとした「公道」です。通称「赤みち」と呼ばれるこのような道は、全国に幾つも存在し、ウォ−カ−達を喜ばせています。開拓の方々にとっては大事にとっておきたい道でしょうから、本当はあまりこういうところで紹介しない方がいいのかもしれませんね・・・。

 

 

途中古い火事現場が残されていて少しいやな気がしますが、そこを右手に見て進むと、豊国神社通称「開拓神社」に出ます。

戦争末期からの食糧難の時代に国と県の開拓行政に従って集団入植された方々のご苦労が開拓の碑に刻まれています。

大変だった時代のことなどを思いながら開拓の道をまだまだ進んでいきますと、また案内看板がありました。

   
 「国道」の方に進みます。  ポケットパ−クもありました。     側に立っていた札をよく読むと
              「トイレどうぞご利用下さい」と書かれてあった。至れり尽くせりの道ですね。

国道141号線を渡ります。

見通しの良い直線ですから車はかなりスピ−ドを出してきます。気をつけて横断してください。

すぐ「八ケ岳興民館」に出ます。公民館ですが何故か「興民館」という字が当てられています。

安池興男物語」を読まれた方にはもうお分かりですね。この中には安池興男さんの業績を記した展示物が見られるようになっていますので、是非一度ご覧ください。

小河内ダム建設によって故郷を追われるように入植された開拓農家を、物心両面で支えた甲府の一役人だった安池興男さんの情熱と指揮ぶりは今でも地域に語り継がれています。

「感激の至情楽土を拓く」の言葉はポ−ルラッシュの「Do Your best、and it must be first class」の言葉とともに、清里に住む人々がいつまでも心に刻む言葉です。

あいの原通りを萌木の村に向かって歩いて行くと、「八ケ岳分教場跡地」の碑がありました。

開拓の子は裸足同然の足元で凍った冬道を10キロも歩いて学校に通わなければなりませんでした。

やっとの思いで学校についても、暖をとる為に一晩中燃やし続けた松ヤニにいぶされた体は臭く、「開拓の子は臭い臭い」とはやしたてられ、いじめられます。

そんな現状をみかねて安池興男はあちこち奔走して資金を集め、ついに分教場を建てたのでした。

さまざまな血と汗が流れたであろう「あいの原通り」は今とてもさわやかで、散歩するにはぴったりの通りとなっています。

近年「ともにこの村」というものが出来て、一層歩いて楽しい通りとなりました。本物を提供する、良いサ−ビスを提供する、という観光地にとってあたりまえのことがあたりまえになされているエリアと言っていいでしょうか。

ともにこの村と萌木の村の間に開拓の方々の共同墓地があり、その真ん中に安池さんの墓碑があります。

安池さんの墓は実家の静岡にありますが、地元の方の熱い要請で生前から本人の了承を得て、ここに墓碑を建立することになったのです。

ともに汗を流した方々が大勢眠るこの墓石群はすべて故郷の丹波・小菅の山々の方を向いています。奥多摩湖と名前を変えた小河内ダムの水は、今も青々と澄んでいるでしょうか・・・。

萌木の村の広場でお弁当を食べて今回のウォ−クを終了することに致しましょう。

電車でこられた方はここから清里駅までのんびり散歩をお楽しみください。10分程で小海線清里駅です。

車を清泉寮に置いてきた方はもう少し里の秋を楽しみながら歩く素敵な道が用意されています。

清里駅の踏切を越えると右側に町営の有料駐車場が見えます。この中から清泉寮に戻る素敵な林間コ−スが続いているのです。

キ−プ自然歩道」の一つです。駅から清泉寮まで車道を歩かないで行けるこの道は林間学校で利用する生徒達以外にはあまり知られてないようです。

排気ガスもなく騒音もないので上り坂がまるで気になりません。30分もかからないで清泉寮に到着します。

途中の「キ−プファ−ムショップ」でひと休み。
で、でかい!このシュ−クリ−ムはここの名物

おなか一杯になります。

あっというまに清泉寮です。お疲れ様でした。本日の行程すべて終了です。ここでは八ケ岳南麓一番のお祭りが開催されます。カンティフェアです。今年は10月15(土)16(日)に行われます。

ポ−ル・ラシュが「明日への希望」を信じ、挑戦する人々を励ますために始めたお祭り(収穫祭)です。博士が八ヶ岳の土になって25年。今度は、私達が博士に感謝して、そして、私たちにもたらされる一年の収穫に感謝して参加するのです。皆様の参加をお待ちしています。


 如何でしたでしょうか今回のコ−ス。すこしばかり重たいテ−マだったかもしれません。「赤みち」と呼ばれるようなところも歩くため、少し分かりづらいコ−スとなっています。なんとか歩き通してみてください。見慣れた清里の風景も、先人達の汗の結晶が見事に実った風景として見直されることでしょう。
 この道は国土交通省と日本ウォ−キング協会の主催する「歩きたくなる日本の美しい道500選」に選ばれました。ただ単に「道が美しい」だけでは選ばれません。そこに歴史があり、そこに語るべきものがあり、そこに人がいて、そこが守られていて始めて500選に選ばれるのです。その意味でこのコ−スは全国どこに出しても恥ずかしくない500選の道だということが言え ます。
 その「道」に思いをかけた全ての人に感謝して歩きたい道です。お薦めです。

(参考資料)
清里開拓物語  岩崎正吾 山梨」ふるさと文庫 
ランデブ− April 2000 VoL4 
清里観光振興会ホ−ムペ−ジ
KEEP協会ホ−ムペ−ジ
朝日ケ丘トレイルマップ

(コ−ス問合わせ)

八ケ岳歩こう会 0551-32-5888

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