北杜市のスロ−ライフな歩き方

第15回 【増富温泉 湯あがり散歩道・その2】 

〜 伝承編・民話と道祖神を訪ねて〜

(歩行時間2時間半・2006.12.1)


 増富の散歩道は常に山の奥です。どちらに向って歩いても山の奥に向って歩くことになります。

 あたりはまるでデイラ坊がもっこから落とした土塊のように、こんもりもくもくとしたかわいらしい
 小山が連なっています。北杜市内からはいつも勇壮に聳えて見える南アルプス連峰も、ここで
 は薄青く遠くに追いやられて、景色の主役ではありません。
 今回はそんな山峡の湯の里にひっそりと伝わる民話や伝承を訪ねて歩いてみました。

スタートはやっぱり増富の湯

歩いた後の入浴を楽しみに出発です。

建物の裏山にこんな散歩コースがあります。

「命の径」といいます。まずはここから歩いてみましょう。道中フィールドアスレチックスのような建造物や指示板があって、そこで体を軽く動かす仕組みとなっています。入浴の前に軽く汗をかくとよいそうです。

ゆっくり歩いても30分程度の小道です。この道は民話の里ウオークの起点ともなります。

「命の径」のスタート地点にこんなかわいらしい石仏が待っていてくれました。

なんとこれは「デイラ坊」でした。やっぱりここにはデイラ坊伝説が残っていたのです。石仏の横に下の様な金属でできた解説版が設置してありました。読んでみましょう・・・。

ふむふむ、それによると、みずがき山は、八ケ岳の大噴火で飛ばされてきた岩石をデイラ坊が運んで作ったものだったのだ!?なあるほど、そうだったのか♪

それにしてもデイラ坊のチンチンが可愛らしい。

 ところで、デイラ坊とはこのように火山の噴火に関係する伝承であることが多いことから、火を扱って山岳を渡り歩く修験道の成立と関わりがあるとされています。山に詳しいので産鉄、製鉄の方法にも通じ、タタラ師もしくはタタラ法師と呼ばれました。山伏姿で山から山へ移動するその姿が、デーラ坊もしくはデイダラボッチとなまったのではないかとも推測されています。(甲斐むかし話の世界・佐藤眞佐美著)
「命の径」の終点近く「赤彦」という石仏も見つけました。山あいの里に伝わる伝説らしく「こだま」に関するお話なのですが、詳しくは現地で解説版をお読み下さい。 

この道は再び増富の湯の前に戻ってきますが、民話の旅はまだまだ続きます。

増富の湯の駐車場から温泉街に出てぶらぶら歩いていると昔懐かしい雰囲気の店が並んでいます。この「かもしか」さんには思わず「おっ、元気でやってましたか」と声をかけたくなってしまいました。 子供の頃よくこういう店の前を通って父に連れられ山登りに行った記憶があります。

店内を覗くと、山歩きの方々か、リュックを傍らに置いて、蕎麦を肴に一杯やっているのが見えました。いいなぁ〜。皆さんも時間があったらゆっくり「旅人に扮して」時間を味わいましょう。

さて、案内を続けましょう。少し先に行くとこんな看板が見えてきます。

縦に長い方の看板をご覧下さい。写真の腕が悪くてすみませんが「森林浴遊歩道入口」と書かれています。

「増富荘」というのは廃業してますが、建物はそのままになっています。入り口はその増富荘の前から入って行くのです。

 これがなかなかややこしい。右斜め上に戻るように坂を上り、こんな道から入っていくのです。

 しかし一歩進んでみると、本谷川に沿って素晴らしい渓谷の道が続いていました。

これは間違いなくお薦めの道です。増富の穴場です。訪れた時は既に紅葉の時期は終わっていましたが、水の音を聞いてマイナスイオンを浴びながら歩いているだけで幸せな気分。

フィトンチッドとマイナスイオンをこれだけ浴びりゃ風呂上りにビールの2、3杯はいいだろうなんて、まるでトンチンカンなことを考えながら歩く楽しい時間♪

残念ながらこの遊歩道は1キロもなく、あっと言う間に終わってしまった。

道の終わりには河童が待っていた。

本谷川が氾濫することもなく、きれいな水が絶えることもないのはこの河童のおかげだそうだが、詳しくは現地で看板をお読み下さい。

それにしても、デイラ坊、赤彦(こだま)、河童と、日本の昔話に出てくる役者がどんどん出てくる。増富とは山梨の「遠野」ではないだろうか。

さて、「日受橋」から車道に出て少し温泉街の方に戻り、こんな所から山道に入ることにします。 写真の真ん中。岩と柵の間から山に上がっていく小道。ここを行くのです。

何も案内看板はありませんが、いかにも「歩いてくれ」と言わんばかりの道の切れ方ではありませんか。車道を歩くのは野暮というものです。ま、行ってみましょう。

そしたらどーです♪↓こんなステキな道が待っていたのです。

さらに行くと、狐につままれたか!?、赤い欄干のお宿が出現。「古湯金泉湯」です。おそらくここらで一番古い温泉旅館でしょう。さらに奥に 「湯の権現」があって、8月1日にお祭りがあるそうです。う〜んすごい所だ。

 金泉湯からさらに古道を歩くと、思ったとおり、この道の下で先ほどの車道に戻りました。

車道を温泉街の中心に向って戻るように歩いていると「かまどわらし」という石仏があった。一種の座敷わらしだが、座敷ではなく台所にいるので「かまどわらし」というのだそうです。

増富はかまどわらしのおかげで昔から火事がないそうです・・・。

さてこんどはこのカーブミラーの奥の細い道を歩いてみよう。金泉閣の裏を失礼するような形になりますが、れっきとした道なので大丈夫でしょう。

ところで、

みずがき山の方へ続くこの車道は「本谷釜瀬林道」という名前ですね。ここが起点らしい。

すると「県道増富若神子線」はここから名前が変わるのでしょうか。

ま、どっちでもいいんですが、歩く道の記事など書く身になってみると、ちょっと気になります。

それはともかく、細い道を入っていくと、まずは金泉閣の温泉へ続く渡り廊下の下を潜ります。

すると・・・。

こんな所にでます。

だんだん道はよく分からなくなってきますが、踏み跡らしきものを探して、人一人が歩けるような道をともかく辿って、まっすぐ歩いていきます。

温泉街を下に見下ろすなかなか気持ちの良い道です。

なんとかT字路に出ました。と言っても、手押し車がやっと1台通るような道です。

キョロキョロ見回し、カンを働かせて右へ行きます。狭い里ですから、手に入れた簡単な観光MAPがあれば、後はカンを頼りにどこでも入って見 ればいいのです。迷ったら引き返せばいいのですから。

それこそが里歩きのスローな楽しみ方です。

ホラ、いましたいました「送り狼」です。

祠は丹沢神社です。山の神を祀っています。

かまどわらし、送り狼、山ノ神・・。ますます遠野に匹敵する民話の里らしくなってきましたね。おそるべし増富、と一人で合点して歩いています♪

 増富は、熊や猪が時々里に現れます。それは昔ある猟師が送り狼を罠に仕掛けて殺してしまったからだと伝わっています。
昔、このあたりの夜道を歩くと、必ず誰かが後をついて来た。振り向いても誰もいない。歩き始めると又だれかがついて来る。足を止めると気配もピタリと止む。妖怪か?気味の悪いことだったが、特に事件も起きなかったある日、一人の猟師が仕掛けた罠に 、大きな狼がかかっていた。「こいつか、気味の悪いことをしていた奴は」と猟師は狼を殺してしまった。

その日から、旅人や村人が熊や猪に襲われることが多くなった。狼は道行く人を熊や猪から守っていたのだった・・・。

 送り狼の像からUターンして細い道を戻ると「見返り坂」と呼ばれる道に出る。

「見返り坂」を下ったT字路の角に双体道祖神があった。石仏は新しいが伝説は古く哀しい。かなわぬ恋の物語だった。詳細は現地で解説版をお読み下さい。

全国にある双体道祖神の起源は様々だ。身分の違いや兄弟姉妹の恋等、許されぬ道に走って駆け落ちした二人を慰める為のものだったという説もあって、見るだけで物悲しい。婚礼や酒宴に関わる楽しい双体道祖神もあるが、それら様々な種類の双体道祖神の広がりは、高遠の石工達の役割が大であるとされている。そういえば双体道祖神は信濃の国を中心とした広がりを見せて おり、全国的な分布は薄い。

 T字路の角に下のような古びた看板があった。現在地を確認しましょう。右に「丹沢神社」とあるのが見えますね。その坂を下った所に橋が書かれています。この看板はその橋の角に立っているのです。スタートした地点は赤く記された増富温泉と書かれたあたり。
 今日のコースは赤い「増富温泉」から右に歩き(この看板からはみ出てグルッと左回りに周遊してきて)丹沢神社に出てきたのです。
 今日はこれから、この看板に見える幾つかの神社や道祖神を巡って歩きます。川が流れていますが、行きはその(地図上の)上を歩いて「とちの木」まで行き、帰りは川の下を歩いて「増富温泉」に帰ってきます。1時間もあれば巡れます。

 地図に従って恐る恐る道の上にある鳥居を潜っていくと、崖にへばりついた小屋がありました。

この小屋は祭神様を拝む為の小屋なのです。東屋神社といって、日本武尊と弟橘姫命、木花咲耶姫命が祭神です。美しい姫神様が二人もおられるじゃありませんか、これは御参りしなければ、といってもあまりにも急な崖の上の祠なので、石段からではとても行けません。

そこで鉄の橋が掛けられていたのを利用したのですが、中はこんな風になっていました・・・。

階段の下から覗いたところ。賽銭箱までは見えましたが、祠はまだ上です。そこまでは行けません。奇妙な神社です。一体なぜこんな形式になたのだろうか?

日本武尊が、当地の悪魔退治のために破魔矢を使われ、その破魔矢を立てたところが今の浜井場である、と説明板がありました。

その「浜井場」。観音堂があるので「浜井場観音堂」と呼ばれている。ここにも又おもしろい伝承があった。なんとここが「雨乞い踊りの発祥の地」だというのです。

その昔、難儀していた一人の旅僧を村人が助けたところ、お礼に雨乞い踊りを授かって、それが今に伝る、というのですが・・・。全国的にある雨乞い踊りの発祥の地なのか、ここらあたりの雨乞い踊りの発祥の地なのかは、 分かりませんでした。

さらに行くと秋葉堂。ここも実にユニークだ。

幾つもある祠自体も現地でよ〜く見ると実にユニークなのが分かるのですが、奥に祀ってある石仏をよ〜く見ると、なんとなんと、こはいかに、水晶が置かれているではありませんか・・・。

左の写真に写っている白くて小さな尖った石くれ二つ。これが水晶なのですよ!!

見事な水晶・・・・。石版に「金山彦命」と刻まれているのをみると、もしかしたら鉱山が近くにあったのかも。そういえば近くのみずがき山のあたりは世界有数の水晶の産地だ。水晶の谷というのもあると聞いたなぁ・・。今でも川に入ってよく 探すと、石ころくらいの大きさのものなら子供でも採取できるのだとか。

してみると、水晶ってのは大して価値がないのかも・・なんてぶつぶつ考えながら歩いていくと、道は「日陰大橋」にでた。増富温泉への入り口の橋といってもいいでしょう。上の看板では「六地蔵尊」と書いてある前の橋です。

右の石仏は一見男根をかたどった道祖神かと思いますが、六地蔵なのです。ただし首がありません。明治の蛮行「廃仏毀釈」で地蔵の首が破壊されたのです。そういう例は全国くまなくあり、情けないこと腹立たしいことこのうえありません。

 さて、日陰大橋を渡って、少し歩いた左側に、増富の湯へ戻る細い道があります↓

その道の周囲を「メンテーラ」と言います。川を挟んだ向こうの集落から見て「前の平ら」がなまってメエのテーラからメンテーラになったということです。いやはや、何が語源になるか分かりません 。

川の奥に聳え立つ山は金峰山。どちらに向って歩いても山ばかりです。「日影」という地名にも思わず納得してしまうのですが、 すぐ近くには「日向」という名のバス亭もあり、もう謎だらけ。地名には単なる地形の由来以外に隠された物語があるのかもしれません。

 さて、メンテーラをまっすぐ帰れば10分ほどで「増富の湯」にゴール出来ますが、時間のある方にもう一つおまけの見所を紹介しましょう。日影大橋からグルっと周遊して約30分で戻れます。天然記念物の「日影のトチの木」見学です。これは一見の価値ある大木です。
 所々に立つ看板を頼りに奥へ奥へと歩いて行くと、周囲からは見えない谷の底にその木はあった。そこだけ少し空気が違う。不思議な気配のする空間に悠然と立っていた。

 う〜んと唸って、木のたたずまいに想いを馳せつつ歩いていると、またもや奇妙な空間が。

 どうみても手作りの天文台。廃校を利用したお店。ここは「フィトンチッド」というカフェ兼「森の
遊び場」なのでした。HPを見てみると、なかなかユニークな活動をされている。皆さんも一度時間を作って訪ねてみるといいでしょう。自然派にはたまらない話が沢山できると思います。

 という訳で、そろそろ増富の湯へ戻りましょう。メンテーラ経由で15分です。 如何でしたでしょうか民話と道祖神を訪ねる旅。前回に引き続いて増富を紹介しましたが、まだまだ紹介しきれません。山奥だけに奥が深い、というところでしょうか・・・。 
 左は「かまどわらし」。 正直に書くと、石仏自体はどれもあまり趣も貫禄もなく、 ただ可愛らしいだけで、「う〜む」と唸る感慨が湧いてきません。しかしこのような石仏を置いて地域を盛上げようとしている姿勢は大変好ましく思いました。実際歩いてみても楽しいコースで、解説版 の中身もGOODでした。なるべく大勢の人に歩いて戴きたい里であると実感しました。
 前回同様、今日の詳しいコースについては「増富の湯」の小山総支配人にご確認ください。このHPをプリントアウトして持っていけば色々アドバイスをして下さるでしょう。
 ただし、お礼にゴール後は入浴していってくださいね(^^ゞ
 温泉療法の相談にも乗ってくれます。これからお湯が恋しい季節。少し歩いて体をほぐしてから入浴するのが効果的な入浴法です。

(参考資料)
甲斐むかし話の世界 佐藤真佐美
フィトンチッドHP
各種観光パンフレット
(コースのお問合せ)

増富の湯 小山総支配人 0551-20-6500

八ケ岳歩こう会  多賀純夫 0551-32-5888