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公開遺書(平成21年版)〜昨年のものに追加訂正なし〜 |
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※来年は60歳になるので多少書き換えるかもしれないなぁ・・・。 |
| 私は毎年正月元旦に「遺書」を更新しています。書き初め代わりです。遺書はしょっちゅう見直さないと後悔します。自分の心なんて簡単に変わるからです。自分の問題意識の有りようが自分に分かって大変愉快です。妻や子供達のための遺書ですが、問題提起という意味で皆様にもお勧めします。来年から書いてみては?解決すべき問題が沢山有りすぎて、しばらく死ねない事が明確になります。 |
| 母が亡くなって2年。母の遺書はない。遺書のいらない母だった。生前にすべてをその生き方で語っていた。20歳頃から形を変えてこういうものを書き綴ってきた私にとって、このペ−ジはもはや用済みとなった。なんだ遺書なんていらないんだ、と悟らされた。が、まあこれは50歳前後の私の思いを書き綴った記念として残しておこう。いつかまた追加訂正の記入をしたくなる時がくるかもしれない。去年もそのままだったが、今年もそのままにしておくこととする。 平成15年正月吉日 |
| 「葬式について」 |
| 不要。法律によると、医者に死亡を確認されたら、書類を(死亡確認書?)を貰って、役場に死亡届けを出さねばならない。が、これだけである、義務は。 |
| 火葬も葬式も戒名も墓も一切は法律上必要なく、ほとんど個人の自由に処置してかまわないことになっている。 |
| 死体の放置はいけないことになっているので、いちおう火葬場で焼いたら灰だけ貰って、記念植樹(柿の木がいいかな)の下肥にすればよい。 |
| 「喪中につき年賀の挨拶を〜」 |
| という例のはがきを含めて、全ての知らせは不要。 |
| (10.12.25)の3チャンネルの手話ニュ−スで永六輔も同じ様な趣旨の発言をしていた。 |
| (追記11.1.7−「喪中につき〜」というハガキの習慣はいい加減やめて欲しいものだ。郵政省の陰謀の「一人不幸の手紙」なんじゃないか?喪中だからといって一体他の何を自粛しているだろうか?年賀状だけではないのか?どうして年賀状だけ自粛するのか?全く謎だらけだ。自分の通夜の席では酒を飲んで楽しくやってくれという希望者も多い昨今、時流に反する習慣だとおもうのだが..。このことに関する世間様の本音あるいは正しい意見を拝聴したいと切に願う!ま、しかし人が全員同じ意見であることはあり得ないので、このハガキの問題も結局はそれぞれの流儀が認められる、ということになれば有り難い。) |
| 坊さんも呼ぶ必要ナシ。 |
| 人前結婚ならぬ人前葬式をやろう。(近いウチに簡単マニュアルを皆で考えよう) |
| 火葬場の死体搬入も自分たちでやってよい。棺桶も手製で良いことになっているので今のうちからミカン箱かなにかを沢山集めておこう。ただし、面倒なら次の手段がある。 |
| 「献体」 |
| 大学に死体を提供して、医学の役に立ちましょう。この手は、うまくいけば死体の一切の処理はやってくれる!万歳!向こうで焼いてくれて大学の合同慰霊塔かどこかに祀ってくれる!いいなあ。人の役にたち、金がかからない! |
| が、最近この手は人気があり、慰霊塔が一杯でどうやらうまくいくチャンスも少なくなってきたということで、人の考える事は同じだなあと感じ入りました! |
| でも、献体に賛成だから要請されたらそうしてくれ。最低でも角膜と腎臓が人の役に立つ。 |
| 「墓」 |
| 不要。私には墓の意義が分からない。身内が墓に入れば私は墓にお参りに行くが、それは「墓に入った」から行くだけのことで、「お墓」そのものがありがたいからではない。お墓には何が「入って」いるのか?灰と少しの骨である。「灰と少しの骨」を拝みに行くのは不思議だが、故人が多分それを望んでいたと思うので行くのである。 |
| 私はそれを撒くか埋めて貰いたいのだから、墓は不要となる。私の法要をどうしても行いたいという誰かがいたら、私の形見のなにかを「灰と骨」の代わりにすればよい。写真でもよい。 |
| 「安楽死」 |
| 是非御願いしたい。これは理屈ではない。その時点での医学が私を治せないと言い、私は少なくとも(外からは)意識不明で、植物人間であるのなら、安楽死が最前の道だ。 |
| ガンその他の不治の病の末期治療でも同じ事。チュ−ブだらけのスパゲッテイ人間になってあちこち痛いにも関わらず、出来るのは延命治療だけ。こんな時も安楽死が最高だ。 |
| 無駄な延命治療は「医者のためにやっている」に過ぎない。君たちがそれでも私を生かしておきたいのなら一向に構わないが、一寸でも「早く楽にしてあげようかな」と思うのだったら、そうしてくれ。 |
| ちなみに去年(平成11年)の正月に実家に帰ったら私の母も父も同意見だった。実に心強い!安楽死させてあげますよ!お父さん、お母さん!−と、こう書くとサスペンスじみて父と母に何かあったら私が怪しまれるが、他の兄弟達はどう考えているのか?自分を安楽死させて貰うのにはかみさんの判断だけで十分だと思うが、人を安楽死させるのは多くの人の同意が必要である。これは当たり前だ。誰の同意が必要かは事前に安楽死希望者が決めておくと良い。私の場合は妻と2人の子供計3人の同意が必要だとしておこう。 |
| ※平成12年11月29日加筆:読売新聞 一面の記事として「安楽死 合法化 オランダで下院通過へ」と報じられていた。小見出しだけ引用しましょう。 |
| 「ハ−グ28日 三井美奈 オランダ下院は28日 医師による安楽死を認める刑法改正を盛り込んだ安楽死法案を賛成多数で可決する。上院での可決も確実で、年内にも成立する見込み。国家レベルで安楽死が合法化されるのは世界初。オランダではすでに安楽死が事実上、広範囲に認められているが、これまでは形式上、医師も嘱託殺人で書類送検されていた。また同法案は12歳以上の未成年者にも安楽死の権利を認めており、これも世界に類例がない。同法施行は来年後半とみられるが、今後、安楽死合法化をめぐる国際的論議に影響を与えそうだ。」 |
| 「臓器移植」 |
| 現段階では賛成出来ない。医者の不信、乱脈、税金面での優待等、「浮き世ばなれした村社会」の実験台になってやるもんか、という感じである。どうして脳死を「ご臨終」といわず聞き慣れない「人の死」などというのか!?人の死は「ご臨終」であって、「脳死」ではない。 |
| 「脳死」の人の臓器を取り出して「ご臨終」にするならそれは「安楽死」である。すなをに「安楽死」を認めればいいのだ。そうすれば私も臓器移植賛成である。 |
| さて、私がまさにドナ−最適患者になったら家族はどうするか?結論を先に言うと、その時の医者と向こうの患者と君たちとの信頼関係で君たちが決めてよい。医者の「眼」をみて、感じた雰囲気で決めてよい。眼をみれば、私が本当に回復の見込みのない患者なのかどうか分かる。そういう「人の眼をみて全てが読める人間」に君たちは育たなくてなダメだ。臓器移植に関しては、私はあまり意地を張らない。君たちが良しとした判断で決めてかまわない。 |
| と、ここまで書いてみて改めて思ったが、死んだら残された人の思うままにすれば良いのである。これは毎年思っていることだが、死ぬ前にあれこれいってもそれが残された人にとって不本意だった死んでも死にきれない! |
| 出来得れば、死んでいく人と残された人の思いが同じなら良いのである。 |
| ◎以上は昨年までの遺書である。本日(平成12年1月1日)じっくり再読してみてその考え方になんら変化はない。 |
| ◎医者も医学も進歩はないようだ。一方、最近の世論は「死刑賛成」が大幅に増えているそうだ。私も賛成派だが、死刑というのは安楽死である。何故死刑囚にだけ安楽死を認めるのか。それとこれとは話しがまるで違うといわれそうだが、逆を言えば、死刑囚に何故残酷な死刑の方法を与えてはいけないのか? |
| 遺族の気持を考えれば、肉親を殺された同じ方法で、苦しみを味わいながら死んでもらいたい、というのが本音ではないだろうか? |
| ところで、何故最近死刑賛成派が増えているかを考察すると、残虐な犯罪が増えてきている、ということのほかに、無期懲役では結局のところ20年も服役すれば出所してしまう、ということがバレてしまったからではないだろうか。 |
| 最近ではキンキロウ(スイマセン、字を忘れた)が30年くらい入っていたあげく高齢だからという理由で出所している。バカモン、そんな理由があるか!だから死刑賛成なんだ!(追記/平成12.9.3:韓国で英雄視されながら生活しているキンキロウが釜山で女性の家にたてこもり、放火して捕まったというニュ−スが今流れた。被害者についての情報は流れなかったが、出所させた責任者は誰だ。その責任者も加害者である。多分この場合責任者というのは特定できないようなシステムとなっているのだろうが、出所させなければ起きなかった事件である。71歳だそうだがこの年齢で出所させるべき高齢なんだろうか・・) |
| 無期懲役で絶対死ぬまで出所させない、ということが約束されれば私だったら犯人には死刑より無期懲役の方に服してもらいたい。牢獄のなかでは昼間ゴロリと横になるのも禁止されているそうだが、そういう環境で一生罪を償っていただいた方が死刑より残酷だと思われる。 |
| だが、要するに「残酷なことは悪」なのだ。いくら被害者の遺族といえど犯人に対してそういうことを願ってはいけない。したがって、死刑は「安楽」に、無期懲役は「様子をみて出所させる」ということになる。 |
| ならば、医療はどうか?スパゲッテイ状態が残酷でないのか?治らない患者に行なう苦痛を伴う「検査」が残酷でないのか?「安楽に殺して何故いけない?」 |
| 「私は医者です。どんな場合にも医者が患者の生命を絶つ方向で患者と向き合うことは出来ません」などという医者の自己満足だけが、医者の医学的欲求だけが満たされるシステムでいいのか? |
| 患者や家族の尊厳や考え方が満たされないシステムでいいのか? |
| 今年は「安楽死」についてもっと議論がされることを期待している。 |
| ◎さて、このペ−ジは「遺書」であった。上の文章は「考え方」であって「遺書」ではなかった。しかし、改めて考えて見ると、一体遺書とは何を書き記しておくべきものなのか?財産分与か、遺産相続か?しかし財産も遺産もない場合は? |
| 「思考分与」「思考相続」とはいかないものか。子供たちに、「お父さんはこういう考え方だったんだよ」というものを残したい気がする。別に同じように考えてもらう必要はないが、すこしでも私なりの考え方が伝われば有り難い。それが私が生きた証となるだろう。 |
| まてよ、それなら「八ヶ岳三日坊主」のほうが分かりやすいか。遺書になんかする必要が無い。日頃の立ち居振舞いから「私の考え方」を読み取ってくれるようにすればいいことだ。なんだか「葉隠れ」になってきたぞ。一期一会の精神でもあるなあ。毎日が勝負ってことだ。明日に道をきかば、夕に死す事も可なり、か。 |
| ま、そんなに緊張した毎日は私にはおくれないが、なるべく悔いの無い一日をすごしましょう、という昔から聞かされてきた平凡な言葉がやっとこの年になって、なんとなく理解の及ぶ範疇に入ってきた。 |
| ようするに精一杯遊べばいいのだ!ことしも遊ぶぞ!!「良く学び、良く遊ぶ」だ。これも懐かしいフレ−ズだ。由佳よ、梨絵よ、分かるかね「良く学んで、良く遊ぶ」んだ。人生はそれでよろしい。 |
| ホ−ム |