八ケ岳の賢治と風の三郎社(2)

〜風の三郎社・発見〜

2003・9・2記


■「三社まいり」の道筋を辿って歩いてみようと思ったのはいいが、現地のどなたもご存知ありませんでした。それは無理もないことです。「三社まいり」の風習は戦前までで終っていました。270年続いたとはいうものの、戦後の様々な事情がそうさせたのでしょう。もはや役場の観光関係の部署、農協の古い方々などに聞いてもどなたも知る由もありません。
■「三社まいり」が行われなくなって60年くらい経とうとしているのです。現在70歳くらいの方でも覚えていないのは仕方のないことです。
■私が現地を訪れて5回目。今日見つからなかったらもうあきらめようと思いながら付近をウロウロ歩いていた時です、前方からトラクタ−を運転して畑から帰ってきたのか(畑へ行くのか?)ノロノロと運転してくるお爺さんに遭遇しました。 お爺さんはもう80は超えているような感じです なんとなくこの方なら何かを知っていそうな、そんな予感がしたのです。おもわず飛び出て「すみません、風の三郎社を探しているのですが」と大声で叫びながらトラクタ−の前に立ちふさがりました。
■おじいさんは突然目の前に飛び出てきた私にびっくりして「あぶないじゃないか、こらっ」とあきらかに云いそうな目をしてこちらを見ましたが、私の「風の三郎社・・」という言葉を聞くや否やその表情がにわかに変わるのが、分かりました。
■「ほ〜、あんたは風の三郎社をお探しか、風の三郎社にお参りか・・」と急に嬉しそうになり、「そのことはとても大事なことだ」といわんばかりの雰囲気で、トラクタ−の向きを変え、私をその場所まで案内してくださったのです。うひゃ〜、こんなことってあるんだ!
■その場所から5分と離れていない風の三郎社とは・・・。上の写真です。よ〜くご覧下さい。真ん中の大きな祠の右側に小さな祠があります。その小さな方が風の三郎社なのです。石で出来ています。

■そしてもっと良くご覧下さい。
上の写真では2つの祠は一対で石組みの土台の上にある、と見えます。
しかし左の写真をご覧下さい。
三郎社の祠の土台は明らかに左の石組みに後からつけたされたものです。
では、大きな祠は一体何か?
利根川神社といって、このあたりの氏神さまなのです。この付近の集落には利根川さんという家が多いのだそうです。
■日本武尊の東征の折、このあたりで武将の「トネ」だか「トネガワ」だかが、急に体調不良になり、この地に留まらざるを得なくなった。武勲の誉れ高い武将だったので、日本武尊はここを治めよと彼にこの地を与えたという言い伝えが残ってる、とそのお爺さんが話してくれました。
なるほど、この地は由緒ある古くからの村だったのですね・・。それにしてもなんで利根川神社の境内に風の三郎社の祠があるのだろう?
■そんな疑問顔の私をお爺さんはすぐに見抜いてニヤリと笑い、「ちょっと寄っていかんかね」(と言ったか「ちょっと寄っていきませんか」と言ったか忘れてしまったが)そこからすぐの自分の家に私をあげてくださり、お茶とお茶菓子でお爺さんのそれはそれは すばらしいお話を伺う機会を得たのでした。
 
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