八ケ岳の賢治と風の三郎社(1)

〜〜賢治は八ケ岳の空を飛んだ〜〜

2003・9・1記


甲州ではじめた時なんかね。はじめ僕が八ケ岳の麓の野原でやすんでたらう。曇った日でねえ。すると向ふの低い野原だけ不思議に一日、日が照ってね、ちらちらかげろふが上がってゐたんだ。それでも僕はまあやすんでゐた。そして夕方になったんだ。するとあちこちから

「おいサイクルホ−ルをやらうぢゃないか。どうもやらなけぁ、いけない様だよ」ってみんなの云ふのが聞えたんだ。

「やらう」僕はたち上がって叫んだねえ、

「やらう」「やらう」声があっちこっちから聞えたね。

「いいかい、ぢゃ行くよ」僕はその平地をめがけてピ−ッと飛んでいった。するといつでもそうなんだが、まっすぐに平地に行かさらないんだ。急げば急ぐほど右へまがるよ、尤もそれでサイクルホ−ルになるんだよ。さあ、みんながつづいたらしいんだ。僕はもうまるで、汽車よりも早くなってゐた。下に富士川の白い帯を見てかけて行った。けれども間もなく、僕はずっと高いところにのぼって、しづかに歩いてゐたねえ。サイクルホ−ルは」だんだん向ふへ移って行って、だんだんみんなもはひって行って、ずゐぶん大きな音をたてながら、東京の方へ行ったんだ。

   種山ケ原の「風の又三郎」

■上は「風の又三郎」の初稿「風野又三郎」の一節です。こんな文章に出会ってしまって私は ぶっとんでしまいました。「大好きな賢治さんが八ケ岳を舞台にしている!」こんなうれしいことはありません。
■「これは一体八ケ岳のどこなんだらう」と思いました。賢治さんは何で八ケ岳の麓なんかを舞台にしたんだらう、と考えました。そうか、もしかしたら賢治さんは八ケ岳の空を飛んだことがあるのかも・・、なんてことさえ想像してしまいました。だって、八ケ岳の上空を飛んだら 「下に富士川が白い帯」になって見えただなんて、これは実際に飛ばなけりゃあ、なかなか書けるものじゃあ ありません(~_~;)
■なんてことを漠然と思う日々が続いていたある日、高根町樫山の「三社まいり」の話と偶然出会ったのです。 なんてことないA4の1枚の安そうな紙(^_^;)に印刷された「三社まいり」の簡単な紹介文でした。
■「三社まいり」とは、戦前まで高根町樫山地区に続いた風習で、晴天の祈りを日吉神社に、雨乞いを八ケ岳権現社に、そして風除けの祈りを「風の三郎社」にしたというのです。え?「風の三郎社」!?
■これは何かあるに違いない。
さっそく現地に飛んで、三社を確認してみようと出かけました。我家から車で40分と離れておりません。ところがこれが思いもかけぬ困難な旅(?)となりました。誰も「三社まいり」を知らないのです。まして「三郎社」なんて誰一人知りません・・。
■紆余曲折ありましたが、結果として見つけました!発見したのです。三郎社を!しかも思いもかけぬ場所で。よし、じゃ次は「三郎社」と「又三郎」の関係だ、と探し始めました ら・・
■これがまた、思いも寄らぬ楽しい「旅」でした。その顛末も後でちょこっと書きますが、こんな楽しい話を独り占めにするのはもったいない、みなにも楽しんでもらおうと、2001年こんな企画をたててしまいました。
八ケ岳高原文学の旅。宮沢賢治の世界〜賢治を歩く〜」がそれです(お時間のある時ご覧下さい)
■このイベントを通して知り合えた方々のいや、ものすごいコト!、何がって「その傾倒ぶり」「その偏執ぶり」「その唯我独尊ぶり」「その博識ぶり」「そののめりこみぶり」「その興味の方向の様々なこと」などなど、「賢治」と言っただけでどこからともなく現れる「ファン」の多さ!そしてそのファンは皆「賢治のファンとしてプロである」としか言いようがない 熱の入りよう 、といったぐあいなのです・・。
■なまじな思いつきで賢治さんがらみのイベントを主催してしまったことを何度後悔したことか・・・。
■しかし、そこから素敵な出会いや、楽しい進展があり、八ケ岳の賢治さんは私の中で確かに八ケ岳の上空を飛び始めたのでした・・。                                             

 ちなみに9月1日は又三郎が転校してきた日です。これから10日間、夢のような出来事が起こるのです。

つづく

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