〜2005年 ある日の日記より 抜粋〜
○7月2日(土) 晴れ
・オオムラサキセンタ−の観察会があった。先日と講師が違うので参加した。講師が違えば観点も違うので興味深い。先日と同じで、まずスライド見学をした。同じようなスライドだったが、話の内容が違って面白い。当然肝心な所は同じだが、比喩や引用が違うので、かえってそういうところが 楽しみだ。
・忘れないうちに今晩聞いたことを書いておこう。
・オバボタルというホタルがいる。これは光らないホタルだ。光らないので匂い(フェロモン)で恋の駆け引きをする。メスは飛ばないのだそうだ。写真で見たら本当に羽がない! 飛ばないのではなく飛べないのだ。しかしこれは「退化」ではなく「進化」なのだという。つまり、光りを発しないホタルは自分が飛ぶ代わりに匂いを飛ばす。そうするとオスがやってきてくれる。だから飛ぶ必要がない。そのホタルはオスにもメスにも目が無いそうだ。光りを見る必要がないからである。その代わり触覚が長く大きく発達している。ホタルは触覚でフェロモンを察知するのだそうである。これを「進化」というのだそうだが、「羽根」も「目」も退化してしまうのが「進化」だとは、う〜〜む、進化の方向も一様でないなあと唸ってしまう。
・本日の解説員によると、光での交信というのは随分と原始的なのだそうだ。面白いなあ、私流に解釈すると、匂い(フェロモン)は、そちらを注目していなくても感じ取ることが可能だが、光りというのはその方向を見ていないと気がつかない場合がある。それだけ交信(交尾)が確実に行えるということなのだろう・・・。
・一体、進化とは何か。
・ところで、ホタルは「蛍」と書くが、日本書紀(720年)には早くも「蛍」という文字が使用されている。 そのころから蛍は神の異体のような扱いを受けていたようだ。
・なぜ「ホタル」と呼ばれたかという説は2つあり、一つは星が垂れたようだから「星垂」という説。「沢水に 空なる星の うつるかと みるるはよはの ほたるなりけり」という歌がある、
一方、貝原益軒はお尻から火を垂れているから「火垂る」だと少々ロマンのない解釈をしている。「ますらおが 弓ふりおこし 引き放つ 矢部の川もに 飛ぶ火垂かな」という歌はなかなか勇壮でよい。しかしホタルウォ−ッチャ−としての実感は「星垂れる」である。
・私は「星垂る」説を支持したい
 
・この「星垂る」が、いつ頃から「源氏蛍」「平家蛍」と区分されて呼ばれるようになったか。諸説あるが、今日のお話だと、江戸時代初期の古典俳句であるらしい。
「篝火も蛍もひかる源氏かな」(犬子集 1633)という句がある
「篝火も」「蛍も」両方ひかるが、又共に「源氏物語の巻名でもあるなあ」という意味の句である。
源氏物語には「篝火」という巻も「蛍」という巻もあることを踏まえたうえの俳句で、「ひかる源氏」と繋げたところも技巧である。
この句から「源氏蛍」といわれはじめ、「源氏」がいる以上「平家」も、となったようである。
・「篝火も」の句集から11年後に出された句集に「夏の夜は 蛍も照らす 平家かな」(毛吹草 1645)という俳句が発表された。これなどは、平家を「ひらや」と読ませて、「蛍は源氏と言われるが、夏の夜には平家も照らしているよ」と、掛詞で遊んだ句であろうと思われる。このあたりから「平家蛍」という呼び方も広まったようである。従って、ゲンジとヘイケという呼び名は江戸時代から、というのが今の所正しいようだ。
・本日は45年ぶりにホタルを見たという方がいらっしゃった。やはり「匂い」のことをさかんにしゃべっておられた。身近にホタルが目一杯いた子供時代を送った方は必ず匂いのことを言う。よほど印象が強かったのだろう。おもしろかったのは、「蛍を家の中に入れるな」という話。なぜなら「火事になるから」だったそうな・・。「私もそう言われた」と相槌を打った方がいたので、これはその地方で言い伝えられていたのだろう。その方は静岡である。
・さて、オオムラサキセンタ−のゲンジはそろそろ最終ステ−ジを迎えている。これからはヘイケが我が世の春を謳歌する。ヘイケは8月に入っても見ることができる。
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