〜三社まいりウォ−ク〜


■今から270年も前から、清里(樫山地区)では「三社まいり」という神事が行われていました。
■三社とは、日吉神社・風の三郎社・八ケ岳権現者の三つで、この三社を組単位(10人くらい)で、毎年七月一日から十月三十一日までの間に、代表の代参が行われる。それぞれの神社には、「オハンネリ」といって、米を紙に包んで奉納する。
■日吉神社には晴天の祈りを、風の三郎社には暴風雨除けを、八ケ岳権現社には雨乞いを、それぞれ祈願するのです。

(利根川武男)

三社をまわって豊穣を祈願する風習は東北地方にもあるのだそうです。

賢治学会の松田司郎さんによると「風」と「水」と「日(火)」は大変重要な元素で、これに「土」が入ればこの世の中を作っている根源的な四元素だというのです。

田畑は「土」ですから、「三社まいり」という風習は奇しくもこの世を形作っている根本の神様に祈りを捧げていることと同じなのではないか、とおっしゃっておられました。

そんな大切な風習が行われなくなってもう60年ほどになります・・・。

左は八ヶ岳権現社です。

ここは日吉神社。

地元の大柴さんが解説してくれています

筒粥神事が行われることでも有名です。「オハンネリ」で奉納された米を使用して粥を炊き、差し込んだ藁筒の中の粥粒の具合で様々なことを占います。

ここが風の三郎社です。

様々な経緯から利根神社の境内に移されて、忘れられた存在となっていました。
上の写真右の小さな祠が三郎社です。
手をあてている辺りにごくかすかに判読できる程度に「風」の文字があります。

では、コ−スの案内を致しましょう。

枯葉の道をサクサクと踏んで歩く、

大変楽しいコ−スです。

-「風きりの松」の中を歩く-

今の賑やかな清里が開拓民によって開かれる前、ここ「樫山」が清里の中心でした。
 
賢治の風野又三郎のお話は9月1日から始まります。9月1日は二百十日という台風のあたり日で、農家にとってはいわば厄日です。そんな日に「どっどどどどうど どどうど どどう」と吹く風とともに転校してきた又三郎は子供たちにとって一体何者だったのでしょうか?
 もしかしたらここ「風きりの里」が賢治の童話のもとになった場所かもしれない、というロマンを胸に抱きながら、「三社まいり」という古い風習のあった社を訪ねて歩きました。
 今は静かな里山を、のんびりゆっくりのウォ−キング。貴方も初秋の一日、「風」になったつもりでそぞろ歩いてみませんか。ゴ−ル地点の蕎麦処「北甲斐亭」では美味しい蕎麦が待っています。
スタ−トはそば処「北甲斐亭です。

ここから約6キロ2時間の周遊コ−スを歩きます。

道はすぐに風きりの松の中に入ります。

風きりの松の最北端に五幹の松があり、その下に雨乞いの「八ヶ岳権現社」が祀られています。

権現社から日吉神社へ向かう道。

先人の苦労を偲ぶ堰(せんぎ)の周辺がミニ公園風に整備されていました。

野沢菜を収穫していました。「霜の下りる頃、枯葉と一緒に漬け込んでしまうんだよ」、と笑っていました。

右は南アルプスを従えた風きりの松の列です。

ここ樫山地区は「風きりの里」と呼ばれています。風きりとは防風林のことです。北甲斐亭をはさんで写真のような赤松の大木が列をなして続いています。

この赤松の行列が山村にアクセントを与え、趣のある里山の風景を作っています。

昔はこの松を切ると、一族郎党みな打ち首になったそうです。そのくらい大切に守られていたのですね。

日吉神社(左)と利根神社(右) 利根神社の境内に風の三郎社が祀られています。
ところで今日先頭を歩いてくれたのは大柴家17代目当主のS君。歩こう会の旗を持って歩いてくれました。
私の大好きな橋。何度歩いてもこの「橋のある風景」には心がなごみます。

最近の大きな台風でかけなおしたそうですが、それでもちゃんと昔風の木の橋(下がすけて見える!)の、ままに復元したというのが気に入っています。

橋に敬意を表して記念撮影しました。

「風きりの松」の中の散策路を歩きます。

気持ちの良い道です。

両側の赤松の大木が何かを語っているかのようです。実は・・・

この松林にもいろいろな歴史がありました。左は「松根油」を採るために大木が伐採された跡です。こんな跡が幾つもあり ました。このあたりの山中にも幾つも残っているのだそうです。

敗戦色濃厚になった昭和19年、物資も不足し、ついに戦闘機用のガソリンまで松の根株を煮詰めて取り出した「松根油」でまかなうということになったのです。

何百年の樹齢を誇った大木も「戦時中の政策」にはひとたまりもなく次々に倒されていきました

そんなことが「説明板」に書いてあります。丁寧につくられた道と看板で、土地の人が自分達の地域の歴史をいかに大事にし、伝えていこうとしているかが伝わってきます。

ところで右の店の屋号は「松根商店」といいます。

 良く見ると「松根 理髪部」と書いてあります。今は店を閉じているようでしたが、ここら辺りの中心的なお店だったのでしょうか。 戦争も終る頃、松根油を採取するために兵隊さんが大勢来てここらあたりに民泊し、一時大いに賑わったそうです。ここには例の青赤白のグルグル廻る理髪店の看板も残っていました。清里開拓の父ポ−ル・ラッシュは、この床屋さんでしか自分の頭を刈らせ ませんでした。ここの親父さんが散発道具一式を持って清泉寮まで通った といいます。後日お訪ねした時に、古びた鞄の中に入ったその道具一式を見せていただきました。
 風きりの松の中の道を辿ればゴ−ルの北甲斐亭はすぐそこ。お疲れ様でした。

 以上で「三社まいりウォ−ク」の報告を終ります。 大変気持ちの良い里山コ−スでした。北甲斐亭で美味しいお蕎麦を食べて解散です。秋の一日、三社まいりの歴史と風の又三郎のロマンを思いながらのんびりあるいたのでした。
 「風の三郎社」と宮沢賢治の「風の又三郎」とは何か関係があるのではないか、という単純な疑問について、そのことに関する今までの経緯をちょっとまとめてみましたので 興味のある方はお読み下さい。
 このコ−スについてのお問合わせは「八ヶ岳歩こう会・多賀(0551-32-5888)まで。
 最後までお読みくださってありがとうございました。