八ケ岳中年探偵団行状記

「黒曜石探訪廃道登山」の巻

2004年11月10日(水)快晴


M女史から「レイザンに行きませんか」とお誘いの声がかかった翌日、朝7時には小淵沢道の駅駐車場に5名の中年探偵団が集結したのでありました。さすが 羽よりも軽いフットワ−クが身上の中年探偵団であります。レイザンってどこにあるの?という疑問にお答えする前に、本日の参加メンバ−をご紹介致しましょう。いずれ劣らぬヒマ人で物好きばかりです。

右の男性はK氏。高校で地学の先生をしていました。本日の「黒曜石探訪徘徊道中」はKさん の鉱物に関するウンチクを聴きながらの道行となりました。

隣は山男F氏。道なき道を歩く時、地図の読み方を熟知しているF氏は心強い隊員でした。

ピンクの涎掛けをしている方は本日の隊長Mさん。八ケ岳山塊の全ピ−ク踏破を目指すMさんがレイザンという山を見つけてくれたのです。相当な八ケ岳通でなければレイザン なんていう山には 登りませんでしょう。

「レイザンは黒曜石の産地だというから発見しに行きましょうよ」というのがMさんの今日の誘い文句なのでした。
左の女性はIさん。昨日急遽図書館に行って「八ケ岳の黒曜石」についての知識を詰め込んできたという勉強家。好奇心旺盛な特攻隊長です。そして写真を撮ってる私。探偵団の行状を記録して皆様に報告する役目の従軍記者であります。
以上5名の本日の行動計画は下記の如し。
渋ノ湯から出発

狭霧苑に向かう道は地図上では点線となっていて、整備不十分、倒木多しという道だ。

その道の途中、冷山往復を目論むが、地図上に道の記入は無し。

しかしここが黒曜石の産地だというので、なんとしても行くゾッという決意は充分。

狭霧苑から麦草峠経由丸山、高見石というコ−スを辿って賽の河原経由渋ノ湯へ戻る。

麦草峠周辺にも黒曜石があるという話だ。

イザ出発
出発してすぐにこんな案内看板があった。およその場所の概念が皆様にも伝わるでしょうか。

レイザンとは「冷山」と書くのでした。「霊山」かと思って期待したのに・・(~_~;)

冷山標高2193米、丸山標高2329

この地図を見ても、本日のコ−スは渋ノ湯を基点とした周遊コ−スとしてナカナカ良く考えられた道であると思われます。

全行程約7時間程度です。

ところで渋ノ湯は783年、諏訪神社の神官の霊夢によって発見されたのだとか。随分古い話ではある。

なるほど諏訪神社があった。新しい御柱が建っていた。今年は御柱の年だったが、諏訪神社はどこの末社でも御柱を換えるのだろうか?

「渋御殿湯」という旅館のロビ−に架かる古絵図によると、明治初年の時点でこの旅館は木造3階建ての大建築で、「信仰登山」並びに「湯治客」で繁盛を極めていたらしい。

なんでも諏訪の殿様がこよなく愛した湯だというので「御殿湯」というのだとか。しかもご多分に漏れず(?)ここも信玄の隠し湯だというではありませんか。

今はひっそりとした山の湯に、昔はやんごとなき方々等も訪れて、随分と賑やかだったのですね。

では歩きはじめましょう。  
さすが「整備不良」と地図に書いてあるだけのことはありました。根こそぎひっくり返っている大木が道を遮っていたり、生い茂る木々をかき分けて歩かなければならなかったり、なかなかハ−ドな道が続きます。

が、そこは中年探偵団。まずは何の苦も無く「冷山のコル」と思われるところに到着。

一応指導標識があるところを見ると、この道は案外利用する人も多いのだなぁ。

が、「冷山」への案内板が無い。何故なんだろう。2193米のピ−クと言えば例えば丹沢山塊ならダントツの最高峰となる貴重な高さではありませんか。

八ケ岳山塊にあったがために二級のピ−クとして扱われているのだね、お〜可哀想に(~_~;)

このあたりから冷山に登れるハズだと踏んで、

帰路のために目印をつけながら上る。

   

道なき道を行けば案外簡単に

登頂成功

   

さて、文献によると

このあたりに

あるはずよ

黒曜石が!!

   

そこでK氏がいきなり取り出したのがハンマ−とタガネ。鉱石を発掘する時の7つ道具です。

さすが元地学の教師の血が騒いでおります。

え〜、そんな重いもの持ってきたの!?と一同の呆れ顔もものかわ、意気軒昂なK氏、

それらしき岩を見つけたらすぐ知らせなさいっと言い終わらぬうちに向こうの方から「あやしい岩はっけ〜〜ん」の声が!!

ソレッ、と現場に急行するK氏。

岩をハンマ−で叩いて調査しています

「ゴツンゴツンじゃだめですな、コレハ」

「黒曜石を含んでいればキンキンと金属的な音が帰ってきます」とこれはまた説得力のあるお言葉。一同へ〜っ・・・、残念・・。

そんなことを繰り返しながらあたりをくまなく調査。

ざんねんながら発見にはいたりませんでしたが、地図にない道を踏破して冷山登頂に成功したことは大きな喜びでありました。

赤いテ−プが見えますか?

帰路を外さないように隊員が延々と引いてきたのです。帰りはこれを回収しながら「冷山のコル」まで戻ります。

元の地点まで無事たどり着きました。

やれ一安心とホッと息をついて、あらためて下りて来た山頂方面を振り返るとコハイカニ!?

冷山の頂上へ向かう道がちゃんとあるじゃありませんか(T_T)

おかしいなあ、なんで見落としたんだろう?

我々はこの道のすぐ横の藪のなかを歩いて登って行ったのでした・・・。

道なき道を歩いて無事目的達成して喜んでいたのに・・

ま、いいかっ。

そんなことではくじけない我々は、ここで又別の道を発見。冷山から直接丸山へ行く「廃道」というものがあったのです。

これは黒曜石発見より面白い探検になりそうだと一同欣喜雀躍。

「廃道」を行くべきかどうか慎重に検討をしてみた結果、コリャ行くっきゃない、という結論に満場一致で達したのでした。

なにしろ皆さん長沢さんの藪山道場でしっかり鍛えられておりますから・・・。

これを最初の地図で見てみると、「廃道」というのは青い線で示した道であります。

地図には恐ろしくもおどろおどろしくもホントにしっかりと「廃道」と記されているのです。

「登るな」「途中で道は消えるぞ」「迷うぞ」「迷って死んでもしらんかんねワシ」と書いてあるのです。

しかし、そこを行くのが探偵団たる所以です。

しかも見よ、計画の行程が半分ほど短縮されて、昼食がゆっくりとれるという寸法ではありませんか(^_^)v

という訳で心躍らせつつ、計画変更。

何が待っているやも知れぬ林の中へと、我が中年探偵団は吸い込まれるように奥へ奥へ入っていくのでありました。

こんな道です

倒木が×印を作って立ちふさがっています

倒木はわざと誰かが妨害しているような障害物となっていて、なかなか楽しいのでした。

しかしこれを引き返すことになったらヤダなあと思うこと無きにしも非ずの心境を、時々見える青い空が、癒してくれるのでした。

道は倒木に悩まされながらも案外しっかりとついており、「廃道」にしておくにはもったいない道だという皆の結論となりました。

そしてこの地点でついに丸山へ到達できるという確信を得たのです。 遠くに穂高連峰。槍ヶ岳などの北アルプス、御岳などの中央アルプス
   

北岳、甲斐駒、千丈などの南アルプス、眼下には蓼科、横岳、縞枯などの北八ケ岳が広がる光景をたっぷり楽しんで、もう余裕のよっちゃん・・・し、死語(ーー;)

少し登って三角点、さらに歩くと

丸山山頂に着きました。やったぁ〜(^_^)v

山頂には犬小屋のような神社がありましたが

かかわらないで先を急ぐことに・・

ここまで来たら後はゆっくりとランチを楽しむっきゃないじゃありませんか(^^♪

このために今日という日があるのですから。

これを天国といわずして何を・・(^^♪

ご覧下さい、豪華な食卓。なるほどMさん、この為に涎掛けが必要だったのか。

ところでここは高見石小屋。

天体観測もここの定番です

   

さて、テラスで優雅なランチタイムを楽しんで、お腹が一杯になったら高見石に登ります。

ビ−ルは飲んだし、道なき道の踏破は成功したし、ソ−セ−ジとアスパラは絶品だったし天気は良いし、もう言うこと無し。

という訳で、黒曜石などどこへやら。

   

この有頂天ぶり

ぼっ、ぼっ、ぼくらは中年探偵団っ♪

夕日を見つめる猿

群れて何かを見つめる

   

浅間の噴煙です。

写真でははっきり映りませんでしたが、2筋の煙はくっきりと浅間山からたなびいて、なにか厳かなのでした・・。

   

いつまでも居たい高見石ですが、渋御殿湯のオバサンに「お風呂は3時までですよ」と脅かされたので、そろそろ帰ることにしました。

しかし凄いですな、累々たる岩石。まさに賽の河原です。これは溶岩なのだそうです

溶岩には黒曜石が含まれていることも多いのだとか。万歳なんかしているヒマはない。

黒曜石を探さなければ!!と今日の目的を思い出し、K氏に黒曜石の特徴を再度教えてもらう。

割れたビ−ル瓶と思えばいいのだと教わってフムフムと歩けば誰かが本当に割れたビ−ル瓶を発見した(~_~;)

なんでこんなところにビ−ル瓶がわれているのだろう、しかもほんの2カケラだけ・・。

良く見れば黒曜石だったのだろうか・・・。

道々、K氏に黒曜石のできる条件などや何故地学部に天文部も含まれるのかなどといった話から宇宙創生の話まで伺いながら歩く。

花や樹木或いはキノコ山菜そして鳥や動物達の名前や生態に詳しい人は多いが、岩石鉱物に詳しい人は少ない。

ちなみに手元にある「ジュニア自然大図鑑(学研)」という512頁の図鑑を開いてみたら、「岩石」についての頁は僅か見開き1頁のみ。そこには「黒曜石」の「こ」の字もなかった。「植物」の頁は80頁もあるのに一体どうしたわけか・・・。

そういう意味で今日は大変貴重な話を聴けたのである、K氏に大感謝しなければ。

手元にある本を調べてみたら、日本列島において黒曜石の利用が始まったのは後期旧石器時代の始まりを告げる、今からおよそ3万年前のことらしい。

旧石器時代の人々の主要な道具は石を打ち砕いて作った石器でした。石器に適した岩石はどこにでもあるというものではなく、ガラスのように緻密で均質な岩石が選ばれました。日本で最も多く使われた石器の材料は黒曜石で、中でも和田峠、霧が峰と、八ケ岳の黒曜石は良質のもので、長い時代にわたって人々に利用されました。(八ケ岳火山-その生い立ちを探る-)

現代では石の含有する元素量によって産地が詳しく特定できるのだという。

それによると、例えば奈良県二上山北麓遺跡群で出土した黒曜石が霧が峰産のものであったり、武蔵野台地や沼津付近の約3万年前の地層から麦草峠や冷山の黒曜石が発見されたりしているという。(遠き狩人たちの八ケ岳)

このように遠方まで次々と運ばれたのは、単に石器として有用であっただけでなく、妖しい光に神秘的な力が宿ると信じられていたからではないだろうか。(自然観察 八ケ岳と周辺の高原)と想像する人もいる。本物を見たい人は麦草峠の道路脇に露頭があり、いまも破片が落ちているのだそうだ(遠き狩人たちの八ケ岳・自然観察 八ケ岳と周辺の高原 両著に同様の記述あり)

←「これは流紋岩だ」とつぶやくK氏。

今日は「廃道探検」をしたために麦草峠に寄らなかったが、それはまた次の機会に譲ろう。

八ケ岳の黒曜石は約13万年前の噴火によって流れた「流紋岩〜デイサイト質」の溶岩にともなって誕生したことが分かっている(八ケ岳火山-その生い立ちを探る-)そうですから、火山の噴火が人間の行動すなはち「歴史」にも影響を与えていたことが分かります。

私たちははるかな祖先の痕跡を訪ねてグレイト・ジャ−ニ−をしたのでした。

と、黒曜石の実物を発見できなかった慰めにオ−バ−な感想を書いて本日の探偵団行状記を終わりに致します。
3時を過ぎて渋御殿湯についたが、お風呂には入れてくれました。一人800円なり。

いやいやいや、いいお湯だった、いい一日だったと宿の玄関に出てみれば、なんとなんと、そこにはしっかり黒曜石が目の前にあったではありませんか(~_~;)

しかもいやでも誰の目にも触れるでかい石。これは溶岩で、宿の主人が某所から運んできたもの。

この中を覗くと黒曜石が入っているのですとK氏が説明をしております。

そっか、これが本物かぁ、出発する時見ておけばよかった。

我らが記念写真を撮った場所。このペ−ジのTOPをごらんあれ、我らの後ろにある岩がそうでした(T_T)

今日一日は一体なんだったのと!?という状況にIさんは、風呂上りの足元が再び汚れるのにまかせて、ヨロヨロと笑い崩れていくのでありました。


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